これからの仏教ウェブメディアに求められるものとは?|彼岸寺 日下さんインタビュー<後編>
インターネット寺院「彼岸寺」代表の日下賢裕さんへのインタビュー。前編では、彼岸寺の立ち上げから現在に至るまでの様子をお伺いしました。
後編となる今回は、そんな彼岸寺がいま抱えている課題や今後の展望をお伺いしつつ、20年前と比べて大きく発展・変容した現代のインターネットにおける、仏教ウェブメディアのあり方を考えます。
老舗サイトと振り返る仏教ウェブメディア20年史|「彼岸寺」代表 日下賢裕さんインタビュー<前編>
ウェブメディアはもう限界?彼岸寺の今。
――この20年でインターネットも大きく変わりました。現在、彼岸寺はどういった状況にありますか?
日下賢裕さん(以下:日下):今、ネットのあり方は様変わりし、彼岸寺も以前のように閲覧していただけるウェブサイトではなくなりつつあるというのが実感としてあります。というのも、世間ではSNSが主流になり、短くて分かりやすい情報や、動画といった視覚的に得られる情報が求められており、ある程度読解力を求められる文章の媒体は敬遠されがちなんですよね。時代の流れなので、仕方ないといえばそれまでですが。
――つまり、ウェブメディアは限界が見えているということでしょうか?
日下:確かに、ウェブメディアの限界は感じつつありますね。また「タイパ(タイムパフォーマンスの略)」という言葉が出てきた通り、短い時間でいかに質の高い情報を得られるかどうかも問われるようになってきました。
沢山コンテンツがあるので、効率よく情報を手に入れたいというニーズがメインです。そうしたニーズには、ウェブメディアだとなかなか応えづらいですよね。
――難しいところですよね。
日下:とはいえ、ウェブメディアが完全に廃れるとも思っていません。動画の場合、どこに知りたい情報が有るかを探しづらいので、あまり好まれない方もいらっしゃると聞きました。そういう方々には、目次や検索で知りたい情報を探せるテキストの方が歓迎されるかもしれません。
ですので、彼岸寺の運営ではあまりページビュー数やユーザー数といった数字はそれほど気にしていません。彼岸寺の良いところはほとんどお金が発生しないことです。お金が発生すると、成果も求められますよね。そのため、数字を気にすることなく、発信したい情報をテキストで出しています。文字媒体の強みは安心感や信頼感であり、そうした強みを活かす必要があると思いますね。
――つまり、今後もテキストを中心に展開していくということですね?
日下:そうですね。現在、彼岸寺ではTwitterとFacebookでも発信していますが、今のところさらなるSNSアカウントの開設やYouTubeチャンネルの開設といったことはあまり考えていません。でも、興味がある人がメンバーに加われば、開設を検討することもあるでしょう。
特に今はSNSの発信力がすごいですよね。Twitterでは、福岡県永明寺の松﨑智海さんや「カレー坊主」こと浄土宗僧侶の吉田武士さんのような「バズる」お坊さんがいらっしゃいます。お二人のような方の発信力は凄まじく、時には数百万人に仏教の情報が届きますよね。彼岸寺のようなプラットフォームを利用しなくても、個人のSNSの活用次第で、そうやって情報を拡散できるというのは、大きな変化だと思います。
一方、SNSは発信できる情報量が限られています。そのため、SNSで注目を集めて、彼岸寺で質の高い情報を提供できる状況になれば、2つのメディアの良さを引き出せる可能性もあるのかなと考えています。
ウェブメディアを通して見いだされた「そもそも」の課題
(画像提供:日下さん)
――ご活動を通して、何か学びや気づきはありましたか?
日下:発信するためには自分もそのことを知らないといけないという、当たり前のことに気づかせていただきました。書いた記事は多くの人に閲覧されますし、ずっとアーカイブされますので、間違ったことは書けないですよね。発信するためには自分が発信する内容をきちんと学んでいかないといけないなと思いました。
また、彼岸寺で活動したことがそのままお預かりしているお寺で活かせるかどうかは全く別問題だと感じました。外部に情報を発信したからといって、お預かりしているお寺が活性化するわけではないんですよね。彼岸寺では実践できても、所属寺ではできないことも多くありました。ですので、今後は彼岸寺と所属寺という2つの活動をいかにリンクさせていくかが課題ですね。
――もしかすると、それは仏教界全体の課題かもしれませんね。
日下:いろんな活動をされている僧侶の皆さんからも、同じような悩みを聞いたことがあります。。この15年間で、イベントがお寺の維持につながった事例はおそらく稀なことだろうなと思います。
イベントをして仏教の裾野が広がったのは実績として評価できると思いますが、そこからお寺の維持にはまだまだつながっていませんよね。もしかすると、そもそもこうした活動とお寺の維持は直接的には交わらないのかもしれません。お寺のことはお寺のこととして、しっかり活動していく必要があるのではないでしょうか。
極端な話、お寺の維持につながるイベント事例があったとしても、お寺の周辺に人が居なくなったら、実際は厳しいのかなと思います。例えば、私の所属寺である恩栄寺の周辺は過疎化が進んでおり、次世代の方々とご仏縁を結んでいくのが非常に難しくなりつつある状況にあります。
だからといって、仏教が全く広まらなくなる訳でもないと考えています。様々な形での活動を通して、新しいご縁が生まれ、そこからまた新たなご縁が生まれていっているケースもこれまでたくさん目にしてきました。ですから、インターネット上でも仏教の発信を続けていくことで、お寺と直接は関わりがない人にもみ教えが伝わるかもしれません。ひょっとすると、「お寺」というものにとらわれすぎない活動というものが、これからは必要なのかもしれません。