公務員の現実と、僧侶を目指す道のり|花岡尚樹さんインタビュー<前編>
今回のインタビューは、終末期の緩和ケアを提供する医療施設の常駐僧侶「ビハーラ僧」として活動されている花岡尚樹さん。花岡さんがビハーラ僧になられるまでの半生と、現在の活動内容についてお聞きしました。
青年期は?
ーーご実家がお寺だったんですか?
もともと祖父祖母がお念仏にあつく、その影響で父は行信教校(大阪府高槻市にある仏教の専門学校)を出て僧侶になりました。その後、大阪府羽曳野市の新興住宅地のなかにお寺を建て、わたしはそこで生まれ育ちました。
兄弟は男3人。わたしは末っ子で、子供の頃はお坊さんになりたいとは考えていませんでした。
ーーどんな少年期でしたか?
実家がお寺というのがとにかく嫌でしたね。
小学校高学年ころから、まわりの目線が気になり始めました。まわりから「線香くさい」と茶化されたりして、はずかしくて友達を家に来させませんでした。
他の友達の父親は、朝出勤して夜帰ってくるし土日は家族で過ごします。けれどもわたしの父親はいつも家にいるし、出張もないし、土日は法事で家にいない。まわりの環境のひとつひとつが友達と違うのが嫌でした。
ーー「まわりと違う」ことが気になっていたんですね
そうですね。もともと体が弱いこともあって、まわりの目を気にすることが多かったです。高校生の頃は「体が弱いのは誰かのせい」と思ったり、「友達とはいえ、自分の気持ちなんかわかってくれない」と割り切った見方をしたときもありました。
ーー僧侶からどんどん遠ざかっていったのですね
高校生の時、兄二人が就職しました。
そのころから、今後の進路として僧侶やお寺を意識するようになりました。
そして、思い切って父に「行信教校に入りたい」と言いました。そうしたら、父から「楽だと思って坊主になろうなんて思うな!そんな気持ちで坊主にならんでいい!」と厳しく返されました。
こちらの本当の気持ちは「ならせてください」と頼んでいるのですが、言い方は「なってやる」みたいになってしまう。結局、ケンカ別れをして僧侶になる道は一度閉ざされました。