音楽の道へ進んだその先に大きなご縁|朝倉 行宣さんインタビュー<前編>

 
インタビューを受ける朝倉行宣さん
 
皆さまは「テクノ法要」なるものをご存知でしょうか?プロジェクションマッピングによって光り輝くお荘厳、テクノサウンドにのせられたお経……現代の技術を活用した、新たなお勤めの形です。そんなテクノ法要を発案されたのは、福井県 照恩寺住職の朝倉 行宣(あさくら ぎょうせん)さん。2015年よりテクノ法要を始められて以来、世間より広く注目を集めています。他力本願.netでも、「ニコニコ超会議」「龍谷大学実践真宗学研究科シンポジウム」の記事でこのテクノ法要を取りあげました。
 
今回は、そんな朝倉行宣さんにインタビュー。テクノ法要のことはもちろん、ご自身の生い立ちや仏教のことをお尋ねしました。前編と後編の2回に分けてお届けします。

 

YMOにあこがれて

 
ーーテクノ法要を始められたということですが、もともと音楽がお好きだったのですか?
 
朝倉行宣さん(以下、朝倉):そうですね。僕は音楽が中学生の頃から大好きで、若い頃にはDJやライティングの仕事をやっていました。
 
ーーどんな音楽が好きだったのですか?
 
朝倉:当時はYMO(注)が好きで、「テクノポリス」とか「ライディーン」をずっと聞いていましたね。これは世界的にも有名な曲でした。そして、YMOは色んなジャンルの音楽に精通している方々でした。その影響を受けて、私もいろんなジャンルの音楽を聞くようになりましたね。
 
注:YMOーYellow Magic Orchestra、日本の音楽グループ。1978年に結成。1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つ。
 
ーー高校時代もずっと音楽を?
 
朝倉:高校のときはレコードマニアになっていましたね(笑)。先日、築地本願寺で「ごえんさんエキスポ」というイベントがあって、その時に東京に住んでいる高校時代の友達も来てくれたんですけど「あんた変わっていないよね」と。
色んな音楽が好き、というイメージを高校時代の友達が持ってるぐらい、音楽にどっぷりハマっていました。趣味が高じて、こっそりレコード店でアルバイトもしていましたね。
 
DJ時代の朝倉行宣さんDJをされていた時の朝倉さん(写真提供:朝倉さん)
 
ーー大学に進んでからもやっぱり音楽を続けられたのですか?
 
朝倉:そうですね。その後は龍谷大学に進みました。福井から京都へ出てきて、一人暮らしをすることになったので音楽をする時間はたくさんありましたね。入学してから、大学の新歓コンパがきっかけで、当時まだ行ったことがなかったディスコに行きました。三条河原町(京都の繁華街)にあるディスコなんですけど、たまたまそこのスタッフが福井県出身の方で。しかも、そこでかかっていた音楽も高校時代から大好きだったジャンルの音楽だったんです。
 
ーーそれはテクノ系のジャンルですよね?
 
朝倉:広い意味ではテクノ系の音楽ですね。ですがこの手の音楽は、福井ではあまり人気がありませんでした。そんな地元では人気がない音楽が、京都では普通にかかっていて、「こういう場所があるんだ!」とすごく嬉しくなって、それからはディスコに通い詰めましたね(笑)。
 
そうしているうちに、スタッフの方に「そんなに音楽好きならDJやってみる?」と声をかけられて、DJもやらせてもらいました。
 
ーー龍谷大学では真宗学を勉強されていたのですか?
 
朝倉:そうですね。でも、お寺を継ぐというのがすごく嫌で。なんといいますか、抵抗することこそなかったのですが、とにかく親から引かれたレールを進むのが嫌でした。なので、「俺は音楽がしたいからお坊さんにはならないんだ」という理由で音楽をやっていましたね。
 
ーー勉強よりも音楽だったのですね
 
朝倉:なので、大学は全然行かなくなっていて、教員免許を取るための単位は取得したのですが、結局卒業はしていないんですよ。
 

「実はお坊さんって面白いんじゃないかな」朝倉さんがお寺に戻ったきっかけ

 
インタビューを受ける朝倉行宣さん
ーーそこからお寺に戻る経緯はどういったものなのでしょうか?
 
朝倉:音楽に関する仕事をやっているうちに、ふと「実はお坊さんって面白いんじゃないかな」と思ったのがきっかけでした。
大学をやめて、ライブハウスで照明のオペレーター、ディスコではDJをしていました。どちらも裏方的な仕事なんですよね。照明オペレーターは素晴らしい音楽を、より華やかに見せるのが役割なんです。改めて音楽という素晴らしいものを伝える仕事なんだなと感じるようになりました。そして、お坊さんも素晴らしい教えをみんなに伝える仕事(役割)なのではないかと。その時に「お坊さんも捨てたもんじゃないな」と思いましたね。
 
ーーということは、お寺を継ぐのは嫌でも、仏教自体は嫌いになっていなかったということですか?
 
朝倉:当時は仏教の本当に大事なことがまだ理解できていなくて、仏教を地味だとか、古臭いことを延々と続けているものだと捉えていました。
それが、私の上司が他宗教に傾倒している人だったので、改めて仏教ってなんだろうと考えるようになりました。大学を辞めて、考える時間もありましたし、大学在学中に少しながら真宗学の勉強をしていたことも背景にはあったと思いますが。
上司だけではなく、お店のビルのオーナーさんも仏教を信仰されている方で、音楽の仕事を続ける中でも様々なご縁がありました。YMOの細野さんも宗教に傾倒していらっしゃる方で、その影響も受けていると思います。
 
ーー仏教のどのようなところに魅力を感じたのですか?
 
朝倉:お釈迦様は何か新しいものを作り出されたのではなく、真理を発見したというところでしょうか。そこにすごく引き込まれました。そこから、浄土真宗はどんな教えなのか?と立ち返ったわけです。
これまでの人生の中で、沢山の転機を頂きましたね。
 
ーー色々な転機があったのですね。その後、お寺に戻られたのはいつごろでしょうか?
 
朝倉:24歳のころでしょうか。お寺だけでは生計を立てられなかったので、その後は昨年(2018年)の春まで福井にある浄土真宗の宗門校で事務職をしていました。そして、住職になるときにテクノ法要を考案しました。
 

編集後記

 
お寺を継ぐのが嫌で進んだ音楽の道。そこでのご縁で仏教やお坊さんの面白さを見いだされた朝倉さん。単に音楽が好きだったということだけではなく、仏教を「暗くて古臭いもの」と捉えていた過去が、華やかなテクノ法要を生んだ遠いきっかけかもしれません。大変興味深いストーリーを聞かせていただきました。
次回は、テクノ法要を始められた直接的なきっかけと、その後のお話を伺います。後編記事へと続きます。

 

インタビューは後編に続きます。
 
<インタビューの続きを読む>
テクノ法要は「温故知新」?|朝倉 行宣さんインタビュー<後編>

 

朝倉行宣さんプロフィール

 

 

朝倉行宣さん・・・ 浄土真宗本願寺派、福井・照恩寺の17代目住職。中高生時代から音楽に傾倒し、大学在学中にDJや音楽制作を開始。2015年に父から住職を引き継ぎ、プロジェクション・マッピングとテクノ・ミュージックに合わせて読経する「テクノ法要」を考案した。
   

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掲載日: 2020.03.16

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