飛び出した住職がお寺に戻るまで|雪山俊隆さんインタビュー<前編>

サムネイル写真(写真提供:雪山さん)

 
「次期住職のポストが約束されているけれど『雪山俊隆』は求められていなかった。それが、とても苦しかった」
 
550年の歴史を持つ名刹、白雪山善巧寺に生まれ、「お寺座LIVE」や「メリシャカ」といったさまざまな活動を続けてきた雪山 俊隆(ゆきやま・としたか)さん。
住職としてお寺を継ぐことに不満を持たず育ったものの、実際に法務についてからその現実と理想のギャップに苦しんだと言います。前編となる本記事ではその学生時代と、お寺を飛び出した過去についてお話を伺いました。
 

出会いに満ちた学生時代

 
――雪山さんは、どんな子ども時代を過ごされましたか?
 
雪山俊隆さん(以下 雪山):僕が生まれ育った富山県の黒部市宇奈月町にある、白雪山善巧寺というお寺には「雪ん子劇団」という子どもの劇団がありました。僕もそこに所属していたんですが、どちらかといえば地元のスポーツ少年団で野球をするのに夢中でした。
 
高校は、京都にある平安高校に。父が勧めてきたんです。ちょうど僕が中学3年のとき、父に癌が見つかった頃でした。父は僕に外の世界を見せておきたかったのかもしれません。僕はわくわくして飛びつきました。
 
――その後はどのような進路を進まれたのでしょうか。
 
雪山:高校2年の時に父が亡くなって、夏や冬の休みには帰郷して法事などに参加するようになっていました。
 
卒業してからすぐ、大阪にある浄土真宗本願寺派の宗門校である行信教校に行くつもりだったんですが、そのまえに同じ宗門校である中央仏教学院に行くことを親戚から勧められまして。なので、中央仏教学院に1年、その後行信教校に4年通いました。
 
――その中央仏教学院での1年と行信教校での4年。今思うとどのような印象を抱いておられますか?
 
雪山:中央仏教学院では、はじめて「他のお寺の人」を意識しましたね。もちろん平安高校にもお寺の子はいたんですが、あまり意識していなくて。僕はお寺を継ぐこと、お寺の世界に入ることを当たり前のこととして受けいれていたんですけど、中央仏教学院にはそれに反発している人もいました。なんだか新鮮でしたね。
 
行信教校は中央仏教学院とはまた雰囲気が違っていて、一部にとんでもなく真剣な人がいらっしゃったんです。ものすごく不良っぽいのに仏教のことに関しては真面目に取り組んでいる人や、山から帰ってきたような人とかがいて。そういう未知なる人たちがいて、僕はそこで、仏教というものにはじめて向かい合ったかな、という気がします。どうして、ここまで真剣になれるんだろう、と。
 
――出会いに満ちていたんですね。青春時代の思い出のようなものはありますか?
 
雪山:僕は外で遊ぶのに熱心で、あまり真面目な学生ではありませんでしたが、京都生活最後の1年に、それまでの学生生活の集大成のような事をしたいと思い立って、京都のとあるクラブで舞台公演をしたんです。自分で脚本を書いて、人を募って即興劇団を作って。
 
多感な時期だったので、それまでの自分の証のようなものを出したかったんです。公演をする半年くらい前には下宿も全部引き払って、知り合いにお風呂だけ貸してもらって、ワンボックスの車の中で生活して。そんななかで舞台をする、というのが僕の中での「卒論」でした。
 

空回りが続いた「住職」生活

 

(写真提供:雪山さん)

――そうした学生生活を終えて、そのままご実家のお寺に戻られたのでしょうか。
 
雪山:公演が終わってそのまま意気揚々と富山に戻りました。そこで2年法務をしてから、住職を継ぐんですが、そのあたりで大きく躓きまして。
 
お寺の役員のかたの集まる場に出たとき、僕は僕なりの「お寺でやりたいこと」がたくさんあって、それを「よし言うぞ」と意気込んでいたんです。でも、いざ参加すると、誰も「僕」の意見なんか求めていないのが分かるわけです。
 
今考えれば当たり前ですよね。人間関係がまだ出来ていないんだから。でも当時の僕にはとても違和感がありました。次期住職のポストが約束されているけれど、「雪山俊隆」は求められていなかった。それが、とても苦しかった。
 
――学生から、いきなりそうしたある種の「寄り合い」の世界に入って打ちのめされた、と。
 
雪山:ええ。しかもそこからまた挫折が連続していくんですよ。実際お寺を運営していく上で少しずつあれこれ試していくんですが、空回りを続けまして。自分の無力さ、至らなさを痛感することが続きました。若干人間不信になっていきましたね。
 
――支えてくれるような人はいらっしゃらなかったんですか?
 
雪山:たくさんいましたが、僕が素直に受けいれられなかったんです。たとえば、上の世代の人たちは、僕に父親の姿を投影します。突っ張っている自分としては、そうしたことに気付いてしまうと、人間関係を築ける自信が無い、といったようなこともあったように思います。
 
――そうした悩みを誰にも打ち明けず過ごされたんですか。
 
雪山:いわゆる「お寺の子」ですよね。そとづらだけは良くて。人にはたくさん会うのに、周りにはそういった悩みを見せないまま、精神的にどんどん追い詰まって行きました。
 
そして、継職法要をした一年後にお寺を出るんですよ。「もう自分には無理だ」と思ってしまって。完全に病んでいたんでしょうね、今考えれば。闇の中にいて、もう誰にも話せる状態ではなくなってしまっていました。
 

   

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掲載日: 2022.01.20