【敬老の日ピックアップ】「老いの価値を考える」超高齢社会を迎えた私たちが今、考えること
稲の死はいつか?
司会の菱川さんは、稲の死についてお話しくださいました。
「稲はいつ死ぬと思いますか?稲は、実は死なないんですよ。多くの人は稲が苗から育って、大きくなって、実をつけて、穂を垂れて、その時に人がその穂を刈り取る。そこで、稲は死んだと思われるかもしれないですが、実は稲は穂を切ってもその実を干しておけば実が膨らみますし、刈り取る際に落ちた実は次の新しい芽へと成長していきます。そう考えると稲がいつ老いて、いつ死んでいくかなんてわからない。つまり稲の死はないんですよね」
死や老いの境目は一体どこなのか?
60~65歳が定年で退職となる会社が多いですが、その年齢の区切りも時代によって変化しています。1960年代では定年は50歳あるいは55歳と考えられていました。時代の流れによって、「老い」の定義も変わっているのかもしれません。
お互い様の感覚が良かったこと
「嫌老社会」や「老害」という言葉も生まれていますが、そうでない社会は一体どんな社会なのでしょうか?つまり高齢者がいてくれるだけでいい社会です。
議論の中では、「確かに人に迷惑をかけない生き方もすごいが、それが本当にすごいのかわからない。それが続けば、お互い様という日本語、あるいは日本人の感覚が薄れるような気がする。お互い様のポジティブな捉え方や感覚を考え直してみたい」という意見も出ていました。
ある参加者からは「老いの感覚、死の感覚は年齢によっても大きく違う。若い人が考える『老い』や『死』は現実味がないからいろいろ言ったって、現実的じゃないよね」との発言も。
確かに、その意見も一理あります。20代が感じる感覚と、50代が感じる感覚、そして70代が感じる感覚が同じとは考えにくいですよね。さまざまな意見が出る中で、「老い」について20代の方からの意見はあまり出ませんでしたが、「死」についての意見はたくさん出ていました。経験することができない「死」については年齢に関係なく議論ができる反面、誰しもが経験し、その経験値に差が生まれる「老い」については意見が分かれているようでした。
これからの日本を背負うのは若い世代だとよく聞くことがありますが、しかしその世代は「老い」に実感が伴っていないのです。
その世代が、若年層が日本の経済基盤を支える・支えていく、という感覚の方が強いのではないでしょうか?
立場、年齢の違いを受け入れて、世代を関係なく一人ひとりが居心地よく生きていける社会に向かっていけたら……。そのためにも、常識のカベという企画の中で、さまざまな角度からの意見を交えて、「老い」についての議論を進めていけたらと思っています。
この議論の続きはこちら。
老いとお金。経済発展がもたらしたものと無くしたもの。お互いさまから創る社会