商社マンから僧侶へ大転身!その「生き方」に迫る|木村共宏さんインタビュー①

 

「中途半端な人間」そんなモヤモヤから訪れた気づきと転機

 
ーーその後、転機が訪れたのですね。
 
木村:そうですね。商社での業務は多様な経験が積めるので飽きることはありませんでしたが、ロンドン勤務を経て入社5〜6年目頃になると「働く」ということについて考えるようになりました。
商社の給料に不満はありませんでしたが、もっと多くを求めるのであれば外資系の金融企業に転職する選択肢も考えられました。ただ、多いに越したことはないにせよ、そこまでお金を第一に考えたいわけでもなく、お金に執着するのは違うかなと思っていました。
では逆に、もっと世のため人のために尽くすのはどうか?と考えてみたんですが、例えばマザーテレサのように人生のすべてを社会奉仕に捧げられるかというとそれも難しいなと。結局、金の亡者にはなりたくないけどマザーテレサにもなれない。どちらも突き詰められない、自分はなんて中途半端な人間なんだろうと思ってモヤモヤしていました。
 

ロンドン勤務時代(2001年、ロンドンブリッジにて撮影)

 
ーーでも、その中途半端に対して気づきがあったと?
 
木村:中途半端であるとしても、それは事実だから仕方ないんですね。自分は聖人君子ではないから、ほどほどにお金も欲しいけど、少しは世間の役にも立って人に喜ばれたい。それが自分なわけです。それを否定しても始まらない。この事実を受けとめた上で前に進まないといけない。
 
そう思っていたところ、渋沢栄一の『論語と算盤』に出会いました。世間に役立つ仕事をして、適正に得られた利潤については堂々と受け取れば良い、ということが書いてありました。道徳経済合一説、つまり、道徳と経済のバランスをとって成り立たせていく中道の考えです。自分が求めるのはこれだ、と思いました。中途半端ではなくて、中道なんだと気づかせてもらいました。
 
お金を求めることを捨てる必要はなくなりましたが、とはいってもお金に対する執着は必要以上に持つべきではないと思っています。人間の致死率は100%で、我々はいずれ死ぬ運命にあります。その時にお金を持っていくことは出来ません。死の床に札束を積んでいても虚しいだけです。それよりも、自分の葬儀に来てくれた友人が「お前と会えて良かったよ」とか「もうちょっと居てほしかったよ」と思ってくれる方が幸せで、大切なことではないかと。
結局、死に際に何を持って旅立てるかだと思います。お金は持っていけません。僕は良き思い出と、人の想いを持っていければ幸せだなと思います。
 
そういうゴールを思い描くと、日々の人付き合いも変わってきます。この世でご縁あった方々とは、できれば長いお付き合いをしたいなと思います。僕の所属していた会社ではだいたい3年ごとに異動があったので、お客さんと良い関係が築けても、異動の度に途絶えてしまうのが通常でした。大好きな会社ではありましたが、70歳まで働くことを考えると、ご縁のあった方と長いお付き合いを続けられる働き方をしたいなと思うようになりました。18年間、自分なりに全力投球した上で、2015年の3月に新卒で入社した三井物産を退職しました。
 

スペイン・マドリードで現地スタッフと(2001年撮影)

 

突然用意された僧侶への扉

   

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掲載日: 2020.10.16