「いのちだいじに」野菜が育んでくれる仏教のこころ│山田黙鐔さんインタビュー<中編>
「『自然』や『仏教』は、私たちにいのちの大切さや生きる上で大事なことを教えてくれます」
そう話してくださるのは、福井県で農業をしながらお寺の住職をされている山田黙鐔(やまだ・もくだん)さん。今回は、そんな山田さんへのインタビュー第二回をお届けします。
目次
「生かされて生きている」僧侶になった山田さんが追い求めた生き方
――前回、山田さんが福井県で出会われたご住職のご法話を聞いて、「こういう(このご住職のような)ことがしたい」と思ったというお話をお聞きしました。「こういうこと」とは具体的にどのようなことですか?
山田黙鐔さん(以下、山田):実は福井県で自然農*1を始めたとき、私は変人扱いをされていたんです。もちろんできた野菜を配ると喜んでくれる人もいましたが、一方で「お前のせいで虫が来る」と怒鳴ってくる人もいました。ちょっとめずらしいことをすると変人扱いされるといった経験をずっとしてきた中で、自然農をやろうとしたときの覚悟が揺らいでいる気がしたんです。
そんなときにご住職のお話を聞いて、僧侶は自信を持って何かに取り組んでもいい生き方であり、自分も相手も嬉しい生き方なんだと思いました。
後から考えてみれば、これまでの人生でもそういう生き方がしたかったんだと思います。「自分だけでなく相手も嬉しい」という双方向のよろこびがある生き方です。だからこそ、それを追求できる僧侶の生き方に惹かれたのかなと思いますね。
そしてその法要の後、ご住職に頼んで仏教の勉強をさせていただくことになりました。
*1 自然農:「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない」を原則とした農法
――生き方へのこだわりがあった山田さんだからこそ、僧侶という生き方がぴったりはまったのかもしれませんね。
仏教を学んだことで、ご自身の中に変化はありましたか?
山田:例えば怒りとか憎しみとか、嫌な心って生まれてくるじゃないですか。
それって仕方ないけど、できることならニコニコして生きていたいんですよ。以前の私は、僧侶になれば嫌な心を生まないようにコントロールできるのかなと思っていたんです。
しかし浄土真宗の教えに触れたことで、嫌な心を消し去るという方向ではなく、内省というか、その嫌な心と向き合うような時間が生まれました。
あと、例えば「いのちを大切にしましょう」ということを言葉だけじゃなく、野菜を育てた経験からも言うことができます。そういう農業の切り口からならば、仏教のことを自信を持って話せるようになりました。
謙虚な「いのち」とのコミュニケーション。農業を通して得られるものとは?
――いのちに関する事柄は、仏教の中でも大きなテーマということもあって、よく取り上げられますよね。農業をしていると、仏教の教えをダイレクトに感じられるということもあるのでしょうか?
山田:ありますね。一日一日、野菜は変化しているんです。野菜を育てていると、なんとなくコミュニケーションを取っているように思えるのですが、そんなとき「ああ、この子たちもいのちなんだな」と感じられるんです。
野菜って、当たり前ですが抵抗しないし、ただ人間に育てられて収穫されるがままですよね。しかし、野菜を生き物として見てみると、日々「いのち」の成長を見せてくれているんですよ。謙虚なんです。そう思えば、粗末になんて扱えないですよね。
――野菜を通して、いのちの大切さを日々実感されているんですね。
山田:野菜から学ぶことは本当に多いですし、野菜をつくることで食べ物に困らず生きることができているんですよね。食べ物の確保ができているということは、生きる上で安心感や余裕が生まれます。そのため、新聞社に勤めていたときより不安要素が少なくなりましたね。
――新聞社で働かれてたときはお金もあり、農業をしなくても食べ物に困ることのなかった山田さんですが、一方で、自然の中で農業を通して生きる意味を見出した今の山田さんには人生に充実感がある……ということでしょうか。かつての山田さんのように、社会の中でストレスを感じられている方は少なくないように思います。
山田:そういった方には、何かを一から作って食べるような経験をしてほしいですね。
農業をすることが皆さんにとってもベストな生き方かどうかはわかりませんが、生きる意味を探す一つの近道だと私は思っているんです。いきなり自然の中で生活を送るということが難しい方には、うちの民宿で長期滞在してもらってもいいですし。
――やはり「生きる意味」という言葉がキーワードですね。では、農業の他に生きる意味を感じられた部分はあるのでしょうか?
山田:「ご縁つなぎ」が今の私の生きる意味の大部分を占めていますね。
ご縁は大切だとよく言われますが、よくよく考えれば今の私があるのも、今まで出会ってきた方々とのご縁が幾重にも重なり合っているからこそです。寸分でも違っていれば、また違った人生になっていたでしょう。どういう人に出会うかが、自分の人生を左右する。だからこそご縁はとても大切だと思っています。
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