「法話って何?」素朴な疑問を通して価値観を揺さぶる漫才法話│那須弘紹さんインタビュー
「揺さぶる価値観」と「そのまま」
――YouTubeで動画を通して発信する、いわゆる「YouTuber」としてもご活躍される那須さんですが、僧侶として大切にされていることはありますか?
那須:「カッコつけ」だと思われるかもしれないけど、「こうあるべき」というものをできるだけ取っ払っていくことだと思っています。
「べき」と言ってしまうと、全てが固定されて、枠ができてしまう感じがして。この「べき」という概念や、枠を揺さぶることが、またこれまでの人生の価値観を揺さぶるのが、仏教の役割であり僧侶として大切なことじゃないか、と思いますね。
あるいは宗教の役割の一つとして、価値観の基準を作ることがあるように思うんです。キリスト教にはキリスト教の価値観の基準、イスラム教にはイスラム教の価値観の基準がありますよね。
あくまで私個人の受け止め方なんですが、浄土真宗では、純粋性と多様性という、ある意味相反するものが同時に存在する価値観が説かれているイメージがあります。そしてそれが浄土真宗の魅力の一つだと思います。
――今後の活動の展望についてお聞かせください。
那須:僧侶としては、住職としてお寺の役割を全うしていくことが展望というか、続けていきたいことですね。
私は、住職の役割とはご門徒さんに浄土真宗の教えを伝えていくものだと思っています。さっきこうある「べき」を取り払うとお話ししましたが、型は型として必要で、その型の数を増やしていきたいと思っているんです。うちのお寺では保育園や高齢者施設も運営しているのですが、これは住職の型の数を増やしていると言えるでしょうか。「型破り」ではなく「型増し」という感覚です。
それはなぜ増やしているのかというと、ご門徒さんだけでなく多様な方々の話をなるべく多く聞ける住職でありたいという思いがあるからですね。そのためにも視野を広げるためのチャレンジは年齢などにとらわれず、これからも続けていこうと思っています。
漫才法話の方は、依頼があればどこでも行こうと思っています。もっと、「入り口」的なことをやっていきたいし、考え続けていきたいですね。考え続けた結果、漫才法話以外のものができるかもしれないと思っているので、こだわりすぎないようにしたいです。もちろん、漫才法話も大好きですけどね(笑)。
――最後に、那須さんの思われる浄土真宗のキーワードとは何でしょうか?
那須:「そのまま」でしょうか。
すごく苦しんでいる人にとっては非常に響くキーワードなんじゃないかな……。逆に「そのまま」が苦しい人ももちろんいると思います。「そのままが苦しいから助けを求めているのに!」って。
でも、この「そのまま」という言葉は、苦しんでいる私が、苦しみを抱えたままでも居場所を与える言葉だと思っています。すごく深い言葉ですよね。私たちが思っている以上に奥深い言葉です。
――那須さん、ありがとうございました。
編集後記
仏教に親しんでもらうための「入り口」を模索されている那須さん。
漫才法話はひとつの「入り口」として、実際に仏教に親しまれるきっかけとなっているのではないでしょうか。
こうあるべき、そうするよりこうしたほうがいい、と自分の価値観や世間的な価値観にとらわれて考えてしまうことは、誰しもあるのではないでしょうか。しかしそれが何かをきっかけに揺さぶられたとき、物事の本質が少しずつ見えてくるのかもしれません。また同時に、自分の価値観を客観視できたとき、本質の中に「そのまま」という自分らしさも見えてくるのではないでしょうか。
そんな葛藤の中で、私たち僧侶も「入り口」に向き合っていきたいですね。
龍谷大学の真宗学科卒業後、ラジオパーソナリティーやテレビタレント、放送作家などといったエンターテイメント的なメディアに出る。33歳のときにパーソナリティーを辞め、現在は熊本県球磨郡の慈願寺にて住職をしながらSeppo-CCQとしてYouTubeで活動中。