「読んだ人が伝道の当事者になる」みんなのいいね!が集まる「お寺の掲示板大賞」|江田智昭さんインタビュー<後編>
(写真提供:江田さん)
初めて仏教を知る人へ。ごまかさず、わかりやすく。
――江田さんが僧侶として大切にされていることは何でしょうか?
江田:私はメディアに出るとき、仏教に全くご縁がなかった人に教えをわかりやすく説く姿勢を大切にしています。仏教にご縁がなかった人、そしてメディアで初めて仏教を知る人に少しでもわかってもらえるように話さなければ教えを説くということにはならない、そう思いながらテレビやラジオではお話をしていますし、連載を執筆していますね。
――仏教をわかりやすく伝えようとするとき、江田さんはどういったことを意識されていますか?
江田:他の宗派の教えをないがしろにしていないか、世間にも通用する内容か、そういったことにも気をつけています。私にとってはもちろん浄土真宗のお念仏の教えが中心にありますが、世間にはそうじゃない人もいます。というか、そうでない人がほとんどです。いろんな教えや考え方、信仰の形が社会の中にはある。そういう意識は常に持っていますね。もしそういう意識が欠けていたら、インターネット上で大炎上して、あっという間に終わっていたと思います。
――「わかりやすさ」の中には、相手の大切なものを尊重するという意識が必要ということでしょうか。特にインターネットは多くの人が閲覧するので、気を付けなければいけませんね。
江田:実際、インターネット上に連載記事が載ると、そのことを顕著に感じますし、勉強になります。いろんなコメントをいただきます。その中には遠慮のないものもありますが、それはそれで気付きがありますね。教えを説くのは非常に難しいことではありますが、うやむやにはできない。わかりやすく伝えようとするけどごまかせない中で、どう届けるかを常に課題として意識しています。
――ごまかしながら何かを伝えるには限界がある、ということでしょうか。
江田:そうですね。少し話は逸れますが、日本人は無難な会話をよくしますよね。社交辞令とか。もちろん「無難」には相手を傷つけない、落ち着いた会話ができる良さはありますが、それだけでは話は広がらないし、関係も深まりづらいと思うんです。
ドイツ人は毎日議論していますが、そうしたときに自分の意見をちゃんと言うことで、良い関係をつくります。お互いの意見があることを認めて、尊重したうえで自分の意見を言っているので、議論しても気まずく感じないんですね。そうした風土のなかで生活したこともあって、ごまかさずに伝える、ということの大切さを意識しています。
何かを伝えるときに責任と覚悟は必要ですが、大事なのは自分で考えることだと思います。ごまかさないためには自分の考えをしっかり持っておかないといけません。連載原稿を書いているときは、どのような立場でなぜこのように書いたのかをすべて自分で説明できるように心がけています。あやふやにごまかしながら書いた文章を表に出してしまうと、毎回何万人が読んでいるインターネットの連載では必ず突っ込まれてしまうんです。
――確かに、「ごまかさない意識」が僧侶には求められているのかもしれませんね。
最後に、今後の展望をお聞かせください。
江田:2018年に行われた第1回目の「お寺の掲示板大賞」では投稿作品が700作品でした。それが第4回目(2021年)の今回は2887作品となり、4年で投稿数が約4倍に増加しました。これは本当に有難いことです。しかし、正直なところ、私はこの「掲示板」の企画がずっと続くとは思っていません。今は情報社会に欠かせないSNSだって、いずれは簡単に他の媒体に取って代わられるかもしれない時代です。
それでも、この「掲示板」という形式が、できる限り長く、多くの人にとって仏教への入り口になり続ければいいなと思っています。
――本日はありがとうございました。
編集後記
素敵な言葉に出会い、それを「誰かにも教えたい、伝えたい」と思えたとき、私たちはそれをどうにかして伝えようと努力します。そうしたやりとりのなかで、考え抜かれ、ごまかしがなくなった言葉が、多くの人に伝わり、大切にされていく。お寺の掲示板はその難しさと面白さのあらわれなのかもしれません。
今回お話を伺う中で、江田さんから教えていただいた視点は、僧侶にとっても大切なものであるようにも感じられました。
プロフィール
浄土真宗本願寺派僧侶。1976年福岡県北九州市生まれ。早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。ドイツ・デュッセルドルフにある仏教寺院「ドイツ惠光寺」に2011年から17年まで駐在。「輝け!お寺の掲示板大賞」の企画・立案者。