お寺の子、「ジョビジョバ」になって僧侶になる|木下明水さんインタビュー<前編>
言いたいことも言えなかった自分を変えた「ジョビジョバ」
(写真提供:木下さん)
――東京への脱出を賭けた大学受験は、いかがでしたか?
木下:最初は東京大学を受けたんですよ。ただ、これは浪人して失敗しまして。他にも横浜国立などの国立大学も合格したんですが、面白いところが良いと思って、明治大学を選んだんです。
――そこで木下さんは、「ジョビジョバ」を始められたんですね。
木下:高校の終わりごろから「映画監督か、TV業界の仕事に就きたい」と考えていたので、入学後はすぐにさまざまな活動を始めました。在学中の4年間で何らかの結果を出せば、親も納得してくれるだろうと思って。
そんななかで、同学年の6人で始めたのが「ジョビジョバ」です。経験だと思って役者をいっぺんやってみたら意外に面白かったんですよね。
当時の「ジョビジョバ」は学生劇団だったにもかかわらず、1年生のころから500人、1000人と、たくさんの人が見に来てくれました。東京の小劇場の動員数の最高記録をどんどん塗り替えて、チケットもすぐ売り切れて。学生劇団としては非常に順調だったんですね。面白かったです。
――演劇はどんなところが魅力でしたか?
木下:笑いをとれるというのが魅力的でした。コメディやコント、芝居にしても笑いがあるものだったので、劇場の500人くらいが一気に笑う。あの感じが楽しかった。
私、元々は人前に出るのが苦手だったんですよ。学校で前に立たされるのも、お寺でおつとめをするのも恥ずかしかった。言いたいことも言えなかったような人間だったんですけれど、それがどうしてこうなったのか、よく分かりませんね。
――「ジョビジョバ」は木下さんの人生の上で、大きな転機だったんですね。
木下:そうですね。大学4年生のころにはテレビにも出るようになりましたし、演劇関係の雑誌の表紙を飾ったり演劇祭で優勝したりもしました。非常に順調で、マネージャーも自分たちで雇って、事務所も作って。ちゃんと利益が出る形で舞台が出来ていたんですね。
ただ、それでも両親に「これでやっていくのでお寺を出ます」とはなかなか言い出せませんでした。何度か舞台を観に来てもらったんですが、それでも核心的な話にならなくて。