僧侶が僧侶のままで社会に出て行く|木下明水さんインタビュー<後編>
人間のものさしを覆し続けることで開かれていく世界
(写真提供:木下さん)
――木下さんが、社会のなかで仏教の話をされるときに気をつけていることなどはありますか?
木下:阿弥陀さまや、お救いの話を世俗化させるのではなく、僧侶が僧侶のままで社会に出て行けば良いと思っています。私は今でも地元のラジオで毎月20分くらいのお話をさせていただいているんですが、阿弥陀さまのお救いの話をします。
パーソナリティーの人は、最初それを社会や道徳の話にまとめたがったんです。悪人こそが阿弥陀さまのお救いのめあてだという話をしてみても、「悪人である自覚を持って自分を見つめ直していけ、という話ですね」みたいに。これはこの人だけの問題じゃないんですよね。今の社会ってそういう風に、自分の分かる範囲にまとめがちじゃないですか。それを「いやいや、違うんだよ。悪人であるあなたや私こそが阿弥陀さまの救いのめあてだ、って話なんだ」ってこちらからそのまとめを覆していくんです。
人間のものさしでまとめたがるところを、笑いながら「あなた、社会貢献とか言っても、これから死ぬでしょう。その直前だったとして、どうするの?病気になって死の寸前で何にもできなくなる日が来るよ。それからボランティア行く?これは、社会貢献の話じゃなくて、阿弥陀さまはそういう私のことを救う、という話なんだよ」っていう風に覆す。そんなことを1年ほど続けるなかで、パーソナリティーの人にもさまざまなことがあって、「阿弥陀さまってありがたいんですねえ」とおっしゃるようになっていきました。
そういう風に、人間のものさしを覆していくことで深まり、開かれていく世界はあるんじゃないかな、と思いますよ。
今後の展望
(写真提供:木下さん)
――今後に向けた展望など、教えていただければ。
木下:「ジョビジョバ」は今でも活動しています。僧侶になったので、コントの仕事が楽しめるかは不安だったんですが、やってみたらやっぱり楽しくて。そうした仕事もたまにやりたいと思っています。
あとは面白い僧侶になって、仏さまのお救いの話をしていきたい。何度か築地本願寺でお話をさせていただく機会があったんですが、最初のころに見物に来ていた昔のファンが、また来てくれていて、お浄土の話を聞いて泣いていた、ということがありました。お父さまを亡くされたそうで。興味本位で笑っていた人が、数年後には泣いていた。ご縁って分かりませんね。だから、なんでもご縁になると思って、さまざまなところに僧侶のままで潜り込んで、隙あらば阿弥陀さまの話をしよう、というのが今後の展望の中心テーマですね。
<編集後記>
「面白いお坊さんだなって言われたら良いですね。馬鹿なお坊さんだなっていわれても良いです。お救いのご縁になれば」と楽しそうにお話しになる木下さん。
お寺が嫌いだった「お寺の子」が、演劇の世界で大きな成功をおさめ、それでもなお「僧侶」としての生き方を選び、大好きな阿弥陀さまのお救いとともに再び社会に出て行く。その木下さんの人生の遍歴と活動から、そのはたらきの大きさの片鱗が見えたように思います。
プロフィール
熊本教区 八代組 勝明寺
1971年9月26日生まれ。
明治大学文学部 龍谷大学院真宗学 宗学院卒業
6人組コントグループ「ジョビジョバ」でデビューし、ドラマや映画や舞台やラジオに作家もやっていたのはもう20年くらい前のこと。一生笑って暮らせると勘違いしていたことに気づき、お坊さんになり、布教使や輔教や住職として弥陀法をよろこぶ日々。真面目にやる予定が4年前に「ジョビジョバ」が復活し、ときにコントライブをやることに。法話も宗学研鑽も研究もくだらないことも細かいことも好き。