「お念仏がありがたい」と感じる僧侶が奏でる音色│秋津智承さんインタビュー<後編>
秋津智承さん(写真提供:秋津さん)
前編に引き続き、僧侶でありチェロの演奏家である秋津智承(あきつ・ちしょう)さんにお話を伺っていきます。後編にあたる今回は、僧侶としての人生を振り返ったうえで気付いた音楽の力についてお話しいただきました。
住職はチェロの演奏家│秋津智承さんインタビュー<前編>
きっかけは不思議な体験
――これまで僧侶よりもチェロの演奏家としての感覚のほうが強かったという秋津さんですが、現在はご住職をされていますよね。なにか、僧侶の側面も大切にされるようになったきっかけがあったのでしょうか?
秋津智承さん(以下 秋津):実は、私は僧侶になるための得度習礼の期間中、あきらめて帰ろうとしたんです。
今となっては笑い話ですが、一番の理由は正座の足の痛みでした。周りのほとんどの人が我慢していた痛みを私だけ我慢できないというのが情けなくて……。でも、その頃の私は僧侶になることより音楽が大事でした。加えて仏教を学び始めてまだ日も浅く、み教えのありがたさも何もわからない。こんな半端な私が僧侶になれるわけがない。僧侶になるくらいだったら、今まで自分がひたすら頑張ってきた音楽の道に進んだほうがいいんじゃないかと考えました。なので、足の痛みだけでもう限界だと思ってしまったんですよ。
そして事務所に退所願いを出しに行き、荷物をまとめていたら母から電話がかかって来て。なんとか思い直してちょうだいの一点張りでした。私が反抗すると、母が電話の向こうで泣いているのを感じ取りました。それには私もぐっと来てしまって、ちょっと考えさせてほしいと言ったんです。事務所の方にも同じように伝えると、敷地内ならどこに行っても構いませんよと言ってくださいました。
そうして私は寺の本堂の裏のほうに行きました。夜に行ったこともあり辺りは真っ暗でしたが、石畳の続くまま私はトボトボ歩いていきましてね。そこで私は不思議な体験をしたんですよ。
――どのような体験ですか?
秋津:ふとその石畳の上に私は正座をしてみたんです。やっぱり足が痛い。しかし冷静になって考えてみると、私にとって仏教や僧侶の道は嫌なものではなかったんです。本当にただひとつ、正座ができなくて、それで僧侶になる資格がないのであればもうどうしようもないと思っていました。だから、正座さえできれば頑張るつもりでいたんです。
そう気付いたとき、突然足の痛みが消えてなくなったんですよ。同時に声が聞こえてきたんです。その声を聞いたと同時に、滝のような涙が流れてきました。そしてそれ以降の習礼の期間、どれだけ長く正座をしていないといけない場面でも、お念仏すると足の痛みがスーッとなくなるようになりました。その体験をしたことで、「ここに間違いなく阿弥陀さまがいて、私を見ていてくださることが力になる」と考えられるようになったんですね。
今でもお念仏していると涙が出てくることがあります。でも、悲しいわけじゃなく嬉しいんですよね。自分の中で変化が起きていること、そのきっかけとなった体験、お念仏がただただありがたいと思うんですよ。