人生を立て直すお手伝い。保護司という活動とは。|古川佐奈江さんインタビュー<後編>
決して見捨てないお方がいらっしゃるからこそ
(画像提供:古川さん)
――保護司のご活動の中で、やりがいはありますか?
古川:保護司の活動に「やりがい」を感じたことはありません。できる限りその人を諦めない、見放さない、更生に繋がるまでに絶対に見捨てない、その一心で活動しています。
対象者と関わっていくなかで、再犯に至る事もありました。その時はつらくて涙が出てしまいますが、対象者自身やそのご家族の方がもっと、つらいはずです。対象者も苦しんだ結果、再犯に至ってしまったと思うんですよね。
そんな時は、私よりも経験を積まれた保護司の方なら早くつらさに気づいて支えられたんじゃないか、とか私のような頼りない保護司で申し訳ない、などくよくよしたり、後悔することもあります。
保護観察期間が終わったら、保護司の役割もそこで終わります。保護観察中、仕事が見つかり、社会生活に戻ったとしても、私自身に「やりがい」を感じた事はありません。更生につながったのはご本人が踏ん張って、あきらめずに頑張ったからだと思っています。私はただただ、その後も踏ん張って人生を歩んでほしいと願うのみですね。対象者の更生は決して私の手柄ではありません。ご本人が頑張ってくれた結果です。
――本当に厳しい世界なのですね。そんな保護司のご活動の中で、大切にされていることはありますか?
古川:あくまでも法務大臣に任命された国としての活動なので、対象者に直接仏教を伝えることはありま せんし、決められたルールの中での活動ですが、「決して見捨てないお方がいらっしゃるよ」と、言葉でこそ発しなくとも態度で伝えたいです。
犯罪者、という世間の風当たりは想像するよりも強いでしょうし、場合によっては対象者のご家族でさえ見放される可能性もあります。私はあなたの味方であるということ、決して独りぼっちじゃないという事が伝わってくれたらと思います。
――難しさを言葉にするとすれば、どういったものになるでしょうか?
古川:やっぱり、「思い通りにならないこと」ですよね。その方の環境はどうにもできないし、仕事を探すのにも思い通りにはなりません。思い通りにいかず、もどかしい事もあります。
ーー思い通りにならない時、どうされますか?
古川:対象者が再犯にいたり、逮捕された知らせを受けたときはただただ泣きました。悔しさとも悲しさともいい表せない感情で涙が出ました。その時聞いていた歌の歌詞が、精いっぱいもがきながら人生を生きようとする内容で、その歌を聞きながら思いっきり泣きました。泣きながら、対象者も精いっぱいもがきながら一生懸命頑張ろうとしたけど、再犯に至ってしまった心を思いました。対象者の心を思うと、くじけている場合じゃない、絶対に見捨ててはいけない、絶対に頑張るんだと思いました。
そもそもが思い通りにはならないのだとお聞かせいただきますから、お釈迦さまのおっしゃられる事は本当だなぁ、と自らの姿を見つめますと、今私に出来る事から始めよう、と力が湧いてきます。 本当に私は仏教に出遇っていろんな角度から支えられ、元気をもらっているんです。涙する事はあっても立ち直れる、阿弥陀さまの摂取不捨の心、お慈悲の心にふれる事が出来たからこそだと思っています。阿弥陀さまの心に触れていなかったら私のような泣き虫には保護司の活動はここまで続けていられなかったと思います。
――ありがとうございました。
編集後記
今回は、布教使として、そして保護司としてご活躍される古川さんにお話を伺いました。 お寺のご出身ではなく、法話を聞いたことがない方からの仏教の難しさや面白さは大変興味深いものがあります。
そして、保護司という活動がとても厳しい現場であることも教えていただきました。 多方面で活躍される古川さん。いずれの活動も、古川さんだからこそできることがあるのではないかと思わせられる、想いのあふれるインタビューでした。
古川さん、ありがとうございました。