「人の死が他人事でした」東京生まれ、在家出身の三浦さんが島根のお寺の住職になるまで。|三浦誠さんインタビュー<前編>
「お寺の跡を継ぐ」という言葉があるように、住職の子どもとして生まれ、それがきっかけとなって僧侶になられる方も多い中、さまざまなご縁によってお寺出身ではない方が僧侶になられるケースも存在します。
この度インタビューをさせていただいた島根県正福寺住職の三浦誠(みうら・まこと)さんもそのお一人。東京のサラリーマン家庭に生まれ、ご縁が有って僧侶になられたといいます。
お寺生まれではない方が僧侶になる時、そこにはいったいどんな景色が広がっているのでしょうか?インタビューを通して、そのご経験を振り返っていただきました。
東京生まれ、島根在住のお坊さん
――三浦さんの自己紹介をお願いします。
三浦誠さん(以下:三浦):実は、私はお寺の生まれではなく、東京のサラリーマン家庭に生まれ育ち、妻のお寺に入寺して現在に至ります。新宿の歌舞伎町で生まれ、その後練馬区や板橋区に居住しました。実家はサラリーマン家庭でお仏壇もなく、浄土真宗とは無縁の生活を続けてきました。そんな私でしたが、都内の大学に通い、大学2年の終わりぐらいに正福寺の一人娘だった妻に出会い、お付き合いを初めたんです。でも、当時はまさか結婚するとは思ってもいませんでしたね。
大学卒業後、就職して25歳になった頃、当寺の住職であった妻の父親は80歳前で、後継者も不在だということだったので、思い切って結婚し入寺することにしたんです。
結婚した当時は学習塾の塾長をしていて、やはり浄土真宗とは無縁の生活を続けていました。なので、基礎的なことを学ぶために東京仏教学院に1年間通い、その後得度を受け、教師資格も取得して、正福寺に入寺しました。
(画像提供:三浦さん)
――簡単に正福寺(しょうふくじ)さまのご紹介をお願いします。
三浦:正福寺は島根県江津市にあるお寺で、もともとは真言宗のお寺だったそうです。その後、寛永3年(1626年)に浄土真宗に改宗しました。
お寺全体としての始まりは永禄7年(1564年)で、現在とは別の場所に開基されましたが、集中豪雨でお寺が流されてしまったそうです。その際、流された梅の木にお名号の掛け軸が光を放ちながら掛かっていたという逸話が有り、「避難放光尊」として語り継がれています。また、その掛け軸も宝物として受け継がれています。
――お寺の周辺地域はどういったところでしょうか?
三浦:正福寺は江津市の川平町というところにあります。お寺の周辺は山や川、田んぼに囲まれ自然豊かな美しい場所ですが、人口減少が危機的な状況を迎えており「消滅集落」とも言われています。町内には約50世帯しかなく、そのうち子どもが居るところは僅か2世帯と聞いています。