私の命も思うようにならない【釈尊のことば】
私の命も思うようにならない【釈尊のことば】
(本願寺新報 2016年(平成28年)1月20日(水)号より)
人びとは『これは私のものだ』と執着したもののため悲しむ。自分が所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはいけない。(スッタニパータ 805 偈)
この偈の背景には、仏教の基本的な考え方である「諸行無常」があります。無始の過去(限りない昔)から、すべての「物・事」は一瞬も止まることなく生成と消滅をくりかえしているという事実です。そして、大切なことは偈のなかの「私のもの」というのは、単に具体的で物質的な「もの」だけではなく、「私」とか「心」といった「こと」も示していることです。人類は古代から、私って何だろうとか、心とは何だろう、ということを考えてきました。もちろん正解などありません。私も心も、すべては変化してゆく儚いものだからです。
この句の一つ前に「ああ短いかな、人の生命よ!」という有名な句があります。ということは、この私の生命が私のものだと執着することをも戒めていることが知られます。私の生命としての命も、自分の思うままになるようなものではないのに、それに執着してしまい、だからこそ苦しむのです。ダンマパダにも「無一物であって執着のない人」には苦しみがない、とあります。「無一物」とは、なにものをも「わがもの」として執着することのない人のことです。
偈の最後の「在家にとどまっていてはいけない」というのは、現代的には「世俗的な尺度」が唯一絶対であると考えないように、そして仏法を聞くことによって、すべての物・事に対して執着している、執着せざるをえない自分の在り方を見つめていきましょう、というふうに読んだらいかがでしょう。
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