いま葬儀を問い直す│国立歴史民俗博物館 副館長 教授 山田慎也さんインタビュー<前編>

 
家制度の崩壊に加え、コロナ禍により、葬儀の小規模化・簡略化の流れが加速しています。しかし、形式や規模は違えど、あらゆる文化圏で葬儀は何らかの形で行われていることもまた事実です。結局のところ、私たちにとって葬儀はどのような意味があるのでしょうか?このたび葬儀研究の第一人者である国立歴史民俗博物館の山田慎也先生にお話をうかがいました。
 
 

「なんで人ってお葬式をするんだろう?」が原点

 
――主な研究テーマは何ですか?
 
山田慎也さん(以下:山田):私の専門は民俗学と文化人類学です。とりわけ、日本の他界観・死生観、先祖観、そして葬儀の近代化の問題を探っています。従来の研究では、葬儀の成り立ちや始原的なものへの関心が中心でした。過去を遡って探求するのですが、はっきりとしたことは分からず推定も多いのですが、それに対して私は、いま当たり前に行われている葬儀のあり方に関心を持ちました。通夜・葬儀を行って、僧侶が来て、葬儀社が来て、祭壇を飾ってといった一連のことについて民俗学的な説明がほとんどなされていなかったからです。
 
葬儀のあり方が変化したことに対しては「民俗学では多くの場合、純粋なものが変化してしまった。古くは仏教、また現代は葬儀社との関わりで変わってしまった。これは本来の葬儀ではない。」というように否定的に見られることも少なくありません。しかし私は、葬儀の現状に過去がどのようにつながっているのか、断絶や連続性があるのか、というところにアプローチしたいと考え、研究を行っています。時代とともに生活様式が変わり、死の受け止め方が変わってきたことを明らかにできたらと思っています。
 
生活の中で葬儀をはじめとした様々な儀礼が行われていますが、現代社会の中でどう変わってきたのか、関心を持ち続けています。振り返ると、なんで人ってお葬式をするんだろう?と子どもながらに不思議に思っていたんですね。
 

寺院で葬列の到着を待つ参列者(いずれも和歌山県串本町・古座川町、1993年)写真提供:山田慎也先生)

 
――そもそも葬儀はなぜ必要なのでしょうか?
 
山田:葬儀は必要ないという人もいますが、私は必要だと思います。形式や規模は違えど、あらゆる文化圏で、葬儀は何らかの形で行われています。人の死を認識し受けとめていくためには、亡くなったという事実だけではなく死者に対する一定の行為が必要だと考えます。遺された人々がある人の死を受容するための装置だと言えます。また、やがて死にゆく自分達も、遺された人たちに受けとめてもらえることを認識する場でもあります。
 
 

なぜ「葬儀はいらない」のか

   

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掲載日: 2023.03.22

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