お寺の防災はどうあるべき?|北海道法城寺 舛田那由他さん×黒田真吾さんインタビュー<後編>
防災の合意形成に必要なもの
黒田:迅速かつ大胆に支援活動を持続展開できたのは、何はともあれ建物が倒壊せず継続して使用できた、というのが大きなポイントだと思います。
舛田:そうですね。法城寺では事前に耐震改修工事を実施していたので、今回の地震で損傷こそしたものの、倒壊は免れたんだと思います。
法城寺 本堂外観(画像提供:舛田さん)
法城寺 本堂内観(画像提供:舛田さん)
――お寺の耐震改修に踏み切るのは容易ではないと思います。日頃から「防災」に関心を持って取り組んでおられたのでしょうか。
舛田:はい。防災に関する意識は高かったと思います。
というのも、父が北海道の青年僧侶協議会に加盟していて、その中で阪神・淡路大震災の支援にずっと行っていました。父は、平日は神戸に行き、法事がある週末は北海道へ帰ってくるような生活を続けていました。
私が中学校1年生くらいのときで、部活動に明け暮れている時期だったので、私は同行しなかったのですが、今こうして振り返ると、一緒に行っておけば良かったなと……。
そうした反省もあって2011年、東日本大震災が発生した際は、仙台別院に寝泊まりして、さまざまな支援活動を行いました。泥の清掃をしたり、遺体安置所で手を合わせたりしましたね。
東日本大震災の支援を終えて、門信徒の方々に現地の様子を報告しました。すると大変関心を持っていただき、法城寺の本堂も大きな地震が来たらどうなるのかを調べてもらおうとなったんです。調査した結果、柱の内部が腐食しているなど、耐震構造が不十分な状態が判明しました。ならばということで、耐震工事を平成22年に実施したんです。それが功を奏したのかなと。
東日本大震災での支援活動(画像提供:舛田さん)
――具体的にはどういった耐震工事を行われたのでしょうか?
舛田:本堂の一部の窓や障子ガラスを壁に置き換え、壁の内部には耐震用の筋交いを設置することで強度を増しました。また、本堂そのものをジャッキアップして、緩んでいた基礎部のボルトを締め直す工事も行いました。数か月に渡る、大掛かりな工事でしたね。
――お寺が倒壊しているか否かで、その後の展開は大きく変わってきますよね。
黒田:そのとおりですね。建物が継続して使用できることはとても大事です。自宅がそのまま使えれば、避難所で集団生活を強いられませんし、職場の建物の場合は事業が継続できる可能性が高まります。熊本地震の際には庁舎が倒壊して事後対応に苦労した自治体もありました。築年数が古かったり、壁や柱が少ない大空間を持つお寺にとって、耐震性の問題は避けて通れない大変な課題だと思います。
法城寺さんの場合、事前の備えがあったからこそ支援や避難の拠り所として機能していたことがわかりましたね。また、その背景として、耐震工事に至るまでの門信徒の方々との合意形成プロセスが素晴らしく、理想的だと感じました。
また話を戻してしまいますが、 受援力は支援側のことを経験してよく理解しておかないと身に付かないものだと思います。舛田さんに被災地での大変な支援経験があると伺い、とても納得できました。