老舗サイトと振り返る仏教ウェブメディア20年史|「彼岸寺」代表 日下賢裕さんインタビュー<前編>
皆さんがいま、利用されているインターネット。今日でこそ当たり前の存在となりましたが、初めて世に出た時は多くの人が驚き、そして関心を持ったといいます。
今回は、そんなインターネットの普及とともに誕生した仏教ウェブメディア「彼岸寺」の代表である、日下賢裕(くさか・けんゆう)さんにインタビューをしました。仏教ウェブメディアの先駆け的な存在であり、他力本願ネットの先輩格でもある彼岸寺さんの歴史を通して、インターネットと仏教界の馴れ初めを紐解いていきましょう。
はじめに
日下賢裕さん(画像提供:日下さん)
――今日はよろしくお願いします。はじめに、日下さんの自己紹介をお願いします。
日下賢裕さん(以下:日下):日下賢裕と申します。浄土真宗本願寺派の白鳳凰山恩栄寺(はくほうおうざん おんえいじ)の住職を務める傍ら、インターネット寺院「彼岸寺」の代表を務めています。お寺は石川県加賀市の温泉街の近くにあり、観光が主な産業です。門信徒の方々でも観光業や「山中漆器」という漆器産業に従事されている方もいらっしゃいます。
――どういった経緯があり、日下さんは彼岸寺の代表を務めておられるのでしょうか?
日下:20年前、私が伝道院にお世話になっていた際、彼岸寺を立ち上げた松本紹圭(以下:松本)と一緒の部屋で3か月ほど過ごしたご縁があり、またインターネットに可能性を感じていたので、彼岸寺に関わらせていただくことになったんです。その後、何度か代表が変わる中で、2015年からはそれまで長く携わっていた私が代表を引き継ぐことになりました。
インターネット寺院「彼岸寺」とは?
彼岸寺ホームページの様子(画像提供:日下さん)
――ご活動の内容を教えて下さい。
日下:「彼岸寺」は一言で言えば仏教ウェブマガジンです。「一人でも多くの仏縁を」というコンセプトのもと、インターネット上で仏教にまつわる情報やコラムを発信しています。名前の通り「ネット上のお寺」と捉えており、伽藍や本堂こそありませんが、実際のお寺と同じようにさまざまなご縁が生まれ、誰もが仏縁に出会える場所、という意味を込めて「お寺」を名乗っています。
――彼岸寺の特徴はどういったところにありますか?
日下:一番大きな特徴は、やはり宗派を超えて僧侶が集まったということでしょうか。私も松本も浄土真宗本願寺派の僧侶ですが、彼岸寺はメンバーに大谷派や曹洞宗などの僧侶も在籍していました。今でこそ超宗派の活動も増えてきましたが、彼岸寺ができた当時は宗派の枠を超えて、僧侶同士が何かを企画するというのは各地の仏教会ぐらいで、殆どなかったのでは、と思います。
さらに、僧侶以外の仏教ファンや葬儀社の方、法衣店の方といった、仏教の周辺にある方々にもご協力いただいており、我々はそうした方々をCo-buddist(コ・ブディスト)と呼んでいます。よく考えれば、「お寺」というものはそうした方々の支えあってこそなのですが、彼岸寺の活動の中で、そうしたネットワークが生まれたのも、「お寺的」と言えるかもしれません。