僧侶としてどうあるべきか?|木村共宏さんインタビュー③
改めて問われる寺院の役割
ーー寺院の役割も改めて考えなければいけませんね。
木村:そうですね。振り返れば、江戸時代の寺院は戸籍を管理する役所でした。ですから必然的に訪れる必要もあったと思います。現代の寺院にも公共性はあります。そういう背景を考えれば、少子高齢化・過疎化の流れもあるので、いま自治体が担っている役割の一部を、かつての役所である寺院が担うという発想もありだと思います。
家族経営のお寺はいろいろ大変ですが、逆に言えば転勤がないので、地域で何かを任せる対象としては向いているとも言えるでしょう。宗教法人では身動きが取りづらい場合は、NPOや一般社団法人を設立するもよし、方法はいろいろあります。
多くのお寺で存続が危ぶまれていますが、本来の役割と新たな役割を考え、出来ることを尽くすのが第一。とはいえそれでも立ち行かないのであれば、最終的には廃寺とすることも一つの選択肢になるのではないかと思います。江戸時代に役所として全国にお寺が整備された時、道場だったところもお寺に格上げされたケースが多々あります。役所として必要とされるお寺の数と、役所機能を持たない宗教施設としてのお寺の数は本来異なるでしょう。そう考えると現在はお寺の数がそもそも多過ぎるのではないかと思います。お寺の数を減らすか、お寺に役所機能を戻すか、というのはちょっと飛躍した発想に聞こえるでしょうが、歴史的背景を考えれば必然的に出てくるアイデアです。いずれにせよ廃寺は簡単には受け入れられないかもしれませんが、お寺の存続については、現実を冷静に見ることも重要だと思います。
仮に寺院が立ち行かなくなったとしても、それはお寺の話であり、個人として僧侶を辞めるわけではありません。結局のところ、あくまでも一人の僧侶としてどうあるべきか、が問われると思います。
また、お寺の維持で頭がいっぱいになってしまうと、発想も固まってしまいます。現状維持への執着を捨て、寺院ありきで考えることをやめ、一人の僧侶としてどうあるべきか、何をするべきか、を考えることで発想も広がるのではないでしょうか。その結果として何らかの価値を発揮できれば、再び人も集まるのではないかと思います。
本願寺派吉崎別院でのお勤めの様子(2020年撮影)
「頼りにされる僧侶」を目指して
ーー社会から価値のある僧侶として認められるには、何が必要でしょうか?
木村:少なくとも誰かひとりから必要とされる存在になることでしょう。わかりやすく言えば「ワシの葬式はあんたに頼む。アンタしかおらん!」と言われるような存在になることが必要であり、原点だと思います。そう言ってくれる人がひとり、またひとりと増えていくと、僧侶としても認められるのではないでしょうか。
うちの寺の檀家だから葬式はうちがやる、という契約の話では本来ないはずです。もし今日から日本中で「葬儀は好きなお寺、お坊さんに頼んでいただいてよい」となったら、自分のところは依頼が増えるでしょうか、減るでしょうか。増えないようなら危ういと思います。要はちゃんと相手に寄り添えているか、頼りにされているかということだと思います。
もう13年前のことになりますが、実は僕は2人目の子どもを生後1日で亡くしました。もちろん葬儀を行ったのですが、当時僧侶のあてがなかったので、葬儀屋さんに宗派を伝えて手配をお願いしました。その時来られた僧侶は、亡くなった子供の名前と年齢など最低限の情報を聞くのみで、特段それ以上の関わりはなく、形通りに物事を進めていました。
これだったら誰がやっても同じだし、むしろ自分でお経を読んだほうが良いなと率直に思いました。誰がやっても同じならサラリーマンですね。でも僧侶って違うと思いますし、一般の人はサラリーマン的な僧侶は求めていないと思います。相手の気持ちを汲んで、寄り添える僧侶が求められます。僕も僧侶としてはまだまだ未熟ですが、あの時の気持ちを忘れずに精進していきたいと思っています。
ーー最後に木村さんご自身の今後の展望も絡めて夢を語っていただければ
木村:人生50年と言いますので、自分の人生もあと1年ちょいで終わりです。そのあとはボーナスステージだと思っています。ですからもはや夢を語る歳ではないんでしょうね。それはそれとして、僕は人に喜ばれると嬉しくなります。そして、なにより人から必要とされることが励みになります。
人は何か相談したい時に、「あいつにだけはぜったい相談したくない」と思ったり、「あの人にぜひ相談しよう」と思ったりします。自分はできるだけ一番最初に相談したいと思われる人間になりたいな、と思います。そのように頼りにされる人間として命を終えられたらきっと嬉しいんじゃないかなと思うんです。この先、そういう人間に一歩でも近づけるようになることが夢でしょうかね。
それと、みんなに夢というか希望を持ってもらうことも自分のしたいことですね。希望を失ったり、そこまでではなくても閉塞感の中で気持ちが落ち込んでいる人は多くいます。相談に乗りながら、状況を打開して光が見えてくると、皆さん表情が明るくなり、生き生きとしてきます。自分がみんなに頼りにされて役に立ち、みんなに希望を持ってもらい、元気になってもらうこと。そんな人間として人生の幕を閉じることでしょうか。
僕が前職の時に考えたリーダー像は「私心無く、ハラがくくれて、夢を語れること」でした。自らの利益を最優先にして、大事なところで責任を取らない人には誰もついて行きたくないですよね。だから私心なく、ハラを括れることはリーダーシップとして大事なんです。それは自分を律することでもあります。ですが、ただストイックなだけでは、それもなかなかついて行くのが大変です。だからこそ夢を語ることが必要です。夢を持つことで、ストイックでもいられるわけです。甲子園優勝を目指す高校球児が、厳しい練習に耐えるような感じと言えば伝わるでしょうか。その夢に共感した人が集まって、一緒に何かをやれるとすばらしいですね。
ーーありがとうございました。
編集後記
「宗教がかつてほど信じられる時代ではなくなった」、「必要が無いのであれば廃寺もやむを得ない」……これは、寺院関係者にとって認めたくない現実でしょう。しかし、宗教でしか担えない領域がありますし、僧侶や寺院が担うべき役割が全くなくなったわけではありません。
社会と寺院の関係は密接している以上、完全に切り離して考えることは出来ませんし、逆に社会での経験が今後の僧侶や寺院のあり方にヒントを与えることもあるでしょう。
「諸行無常」の教えの通り、社会は常に変化し続けています。その中で、これまでの常識にとらわれていては、いずれ淘汰されるのは必然と言えるでしょう。そうならないためにも、自らを律し、多様な知見を柔軟に取り入れ、柔軟に思考する。「1人の僧侶として何をすべきか」は、それぞれが改めて問い直すべきではないでしょうか。今回のインタビューでそう気付かされました。木村さん、ありがとうございました。(終)
1972年、神奈川県生まれ。
大学卒業後、三井物産株式会社にて18年勤務。海外ビジネスに従事する傍ら、2009年9月より鯖江市地域活性化プランコンテストのアドバイザーを務める。
2015年3月に退職し、企業顧問・コンサルタントを務める傍ら、2016年4月より3年間、鯖江市地域おこし協力隊に就任。2017年10月に得度し、僧侶となる。
2018年4月より浄土真宗本願寺派の企画諮問会議委員、2019年4月よりNPO法人インド太平洋問題研究所副理事長、同年9月より未来の住職塾NEXT 講師。