「死んだらどうなるの?」恐怖と孤独に向き合った久保光雲さんが仏教に出会うまで。|久保光雲さんインタビュー<前編>
「あんたは0点や」衝撃を受けた仏教の教え
現在の久保さんの人生を表現した絵画。左上の女の子が久保さんを表している。以前は、世界が灰色に見えることすらあったが、仏教に出会ってからは絵のようなカラフルな世界を歩んでいるという
ーー仏教のどういった部分に魅了されましたか?
久保:「最初に驚いたのは、阿弥陀さまに私が拝んで救ってくださいと、たのむのではなく、阿弥陀さまが私に救わせてくださいとたのんでおられる」ということですね。
授業で、阿弥陀さまのお力によって私たちは二度と迷わない身に成らせてもらえるんだと聞いたんですね。でも、私はそれ聞いた時に「結構な話ですけど信じられませんね。それに阿弥陀さまは本当にいるのでしょうか」って言ったんです。
すると先生は「あなたが自分の力で信じるのと違うんや。阿弥陀さまが、信じさせてくださるんや。
あなたは、阿弥陀さまはどこにおるんや、ほんまにおるんか、と思うかもしれないけど、
お話をしっかり聞いて、自分の本当の姿を知らされたら、疑いがとれて、必ず信じられる時、信心をいただく時が来るんや」と教えてもらったのです。
そう聞いた時に、あぁ自分で信じなくてもいいんだ。
阿弥陀さまの力で、私は信じるようになるのだ、すごいなあ!と魅力を感じたのと同時にさらに疑問が湧いたのです。
「じゃあ信じられるようになるにはどうしたらいいんですか」
と聞くと、
先生は具体的に教えてくれました。「先生も最初は阿弥陀さまを信じられなかった、お寺も大嫌いだったし、継ぎたくもなかった。でも信じられる時が来たんや」と。
続けて、先生は「自分に点数をつけると何点やと思う?」って私に聞いたんです。私は結構、親に可愛がってもらって育ってきましたから、自分に対する評価は高かったです。友達も結構いますし、大学も頑張って入ったし、親孝行もある程度できたし、90点はさすがに言いすぎだけど、85点ぐらいはあるんじゃないかなと思って「私は85点ぐらいはあるかなと思います」と答えたんですね。
すると、先生は「確かに、あんたは世間の目から見たらいい娘さんやと思う。勉強もできて、明るくて。けど、阿弥陀さまから見たらあんたは0点なんや。0点やから、因果の道理であんたは決していいところにはいけない。地獄行きなんや。教えを聞くということは、0点の自分を教えてもらうんや」と。
すごい衝撃でした。テストでも0点なんて取ったこと無いのに、0点って、それはひどすぎないかって思ったのですが、「もっと仏教の教えを聞いたらあなたが0点だということが良く分かるよ、阿弥陀さまがあんたに離れずついて行ってくださるんだっていうことが分かるよ」って教えてくれたんですね。
先生の言葉を信じて、さらに仏教の教えを聞いていくと、これまで私が思っていたことと、仏教の捉え方は全部反対だということに気付いたんですね。
ーーどういう気付きがありましたか?
久保:孤独の話もそうでしたよね。孤独だと思ったらいけないと思っていたけれど、人生はそもそも孤独である。私は自分のことを85点やと思っていたけれども、よく聞いたら私は動物の命を殺生して食べている愚かさに気付かされたのです。
ーー心にぐさりと刺さる教えですね。
久保:とはいえ、心では何でも思っていいと思っていたんです。でも「心で思うことに罪があるぞ」と言われまして、十悪(*1)の話ですよね。私の心は十悪にすべて当てはまる。
でも、相変わらず仏さまに対して反発する心もあって。
素直に聞ける時もあるけれども、それは心の調子が良い時で、ものすごく腹が立った時とか、いやなことがあると、阿弥陀さまなんてどうでもよくなってしまうんですよね。でも、そこに大きな気付きがあるんです。
ーーそれはどんな気付きですか?
久保:まさに、我が心の愚かさ、恐ろしさに気付くことですよね。
それから毎週お話を聞き、毎日仏教書を読み、頷いて聞いたのです。わかりたい、わかりたいと思う一心でした。
でも、たまたまそのころ失恋するようなことがありまして。
そうしたら、一気に阿弥陀さまのことがどうでもよくなった時があったのです。阿弥陀さまなんていらない、今この世で幸せになりたい。
ふと我に返ると、打ちのめされましたね。
わかりたいと言いながら、腹の底には、どこまでも逆らっている自分、どうでもいいや、と言っている恐ろしい自分がいると気付いた時、申し訳なさと、阿弥陀さまがそんな自分だからこそ救ってくださるのだ、という大きな大きな喜びに包まれたのです。
阿弥陀さまから見たら0点。私は相変わらず85点だと思っている。でも、阿弥陀さまはそんな私を全部見抜いて下さったんだって。
さらに全部見抜いた上で、私一人を救うために南無阿弥陀仏をつくってくださったのだ。それまで、どうして?でもどこに?どうやったらいいの?という疑問がありましたが、全部消し飛んでしまいました。
どこを探していたのだろうか、阿弥陀さまは私の胸の中におられた、という喜びに包まれたのです。
決して死にたくはないけれども、今日死んでも、全てをお任せしていけるんだなと思うように変わっていったんです。
ーー死ぬことに対する恐怖や孤独感に対する答えが仏教にあったと気付かれたのですね。
久保:そうなんです。それが本当に嬉しくて、これはみんなに聞いてもらわないといけないと思って、母校の芸大に行って話したら、悪い宗教に捕まったんじゃないかってすごく心配されましたけども(笑)。
あとから聞いた話ですが、あれは悪い宗教に捕まったんかもしれないから、いざとなったらみんなで助けに行こうって芸大のみんなが相談していたそうです(笑)。
ーー芸大の方々は驚かれたかもしれませんね(笑)。ですが、それだけ大きな出会いがあったのですね。
<編集後記>
「死んだらどうなるの?」という疑問は簡単に解決するものではなく、考えれば考えるほど苦しいものなのかもしれません。
幼少期から青春時代までの長い間、死への恐怖や孤独に悩まされ続けてきた久保さん。授業がきっかけで出会った仏教にその問いの答えがありました。長い間悩んでいた問い。その答えを得られた時の衝撃や喜びが伝わってくるインタビューでした。
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