今こそ仏教! 不安な世の中に向けて、久保光雲さんが伝えたいこと。│久保光雲さんインタビュー<後編>
(写真提供:久保光雲さん)
ブラジルのノロエステ本願寺主管 久保光雲(くぼ・こううん)さんのインタビュー第3回。
中学・高校時代から英会話が好きだったという久保さん。大学で仏教に出会い、その後は龍谷大学真宗学の大学院へと進学。その時がきっかけで開教使になりました。世界最大の日系人居住地とも言われるブラジル。そこでの布教活動はどんな様子なのでしょうか?
今回は開教使になるまでのエピソードや、異国の地・ブラジルで浄土真宗を伝える難しさ、そして、今もなお猛威を振るう新型コロナウイルス感染症の中で取り組んでいる活動についてお伺いしました。
「死んだらどうなるの?」 恐怖と孤独に向き合った久保光雲さんが仏教に出会うまで。│久保光雲さんインタビュー<前編>
責任ってなんだ? 被爆者三世の久保光雲さんが抱いた感情とは│久保光雲さんインタビュー<中編>
目次
まずはコミュニケーションから。異国の地で感じた布教の難しさ。
写真1枚目はサンパウロ個展での法話。写真2枚目の左から2人目は、元サンパウロ大学教授でブラジル仏教界に多大な貢献をされた、リカルド・マリオ・ゴンサルベス師
ーー開教使を目指したのは、どういったきっかけですか?
久保 光雲さん(以下:久保):中学、高校は英語教育に熱心な学校でしたので、当時まだ珍しかった欧米人の先生による授業で英会話を習いました。自分に英語名をつけたり、英語でディスカッションしたりと、若い時に素晴らしい経験をしました。
その後、京都市立芸術大学を卒業する直前に浄土真宗に出会いました。それで阿弥陀さまに出会えた喜びを芸大の友人たちに話したのですが、うまく伝えられなかったのです。むしろ逆に、変な宗教につかまったと思われまして。
いくら喜びがあっても伝わるように話すのは難しいな、と悲しくなりまして。残念な思いを何回かいたしました。
また、ときには「そんなにすばらしい教えなら聞きたい!」と言ってもらえて、聴聞仲間が増えることもありました。
それが例えようもなくうれしくて、伝道の面白さ、喜びのとりこになりました。
そのような経験から、伝える力をつけるためならどんな努力でもしたい、と思うようになったのです。
伝道において、私を成長させてくれたものは2つあります。1つは『聞く・伝える』ための方法を教えてくれた『真宗カウンセリング』。もう1つは、龍谷大学大学院(以下:龍大)で勉強した真宗学です。
真宗カウンセリングを学んだのは、龍谷大学短大の教授でもあられた西光義敞(さいこう・ぎしょう)先生からでした。仏法を聞いてほしければ、まずはその方の悩みを傾聴させてもらうのが大事だと学びました。しっかりと相手のお話を聞くと、意外なほど向こうも私の話を聞いてくださることが多い。これは大きな驚きでしたし、現在もカウンセリングの勉強は継続しています。
そして龍大で真宗学を学んだのは「しっかりと深いお話をするためにもっと教学を学びたい」と考えたからです。
龍大での勉強は夢中になるほど楽しかったですし、素晴らしい先生方にお会いすることができました。
最初に海外布教への道を開いてくださったのは武田龍精(たけだ・りゅうせい)教授です。私は先生に、英語が好きであること、伝道する力をつけるために龍大に入ったことをお話しました。すると「あなたのような人は留学して勉強しなさい。交換留学制度で米国仏教学院に行きなさい」と勧めていただいたのです。
そこで博士課程在学中に、カリフォルニア州バークレーにある米国仏教学院へ留学しました。
勉強しながら、日曜日にはバークレー・サンフランシスコ・オークランドなどのお寺で法話をするご縁もいただきました。そのときに海外布教の魅力を知り、開教使になろうと決心しました。
一般的にアメリカの方は、日本人よりも感情表現が豊かです。お話がわからないときはわからないとはっきり言われるし、よかった時はハグして喜んでくださる。そこにおもしろさを感じました。
アメリカに浄土真宗が伝わってから長い年月が経過していますが、みなさんの理解は通仏教的なところが中心で、肝心の真宗のご信心についてはあまり浸透していないように感じました。その点にもやりがいを感じたのでした。これはブラジルも同じで、み教えの本質をお伝えすべき余地がまだあるんですね。
ーー開教使としてブラジルに赴任されて、どのような印象を受けましたか?
久保:ブラジルの方はとても人柄が良いんです。おだやかな気候の影響もあるのか、陽気だし暖かくて率直なんですね。
アメリカは生活が近代化されていますが、失業率も増えてきていて精神的な悩みは深いという印象を受けました。
経済的に見ればブラジルはアメリカより貧しいかもしれませんが、違う良さがありますね。全体的に国民が疲れていないと言いますか、素直で生き生きとした印象があります。
ーー逆に、布教活動の中で難しいと思う部分はありますか?
久保:アメリカでは、バークレーの日曜学校によく参加しました。当時はデビット松本先生が主管で、子どもたちに六波羅蜜を教えておられたことが印象的でした。
アメリカ開教使の先生方から、「アメリカの親は善悪をはっきり教えることを求める。子どもに対して『悪いものは悪い。良いものは良い』と伝えてほしいという親が多い」と教わりました。
だから「自分は罪悪深重の身である。悪いことをするような心が自分の中にもある」と理解してもらうのが難しいのだな、と感じましたね。
また、アメリカで開教使になるための授業を受けた時に、地獄について次のような指導を受けたのです。
親鸞聖人が書かれたように「私たちはもともと地獄に行くような身である」と伝えても、一般的なアメリカ人には受け入れるのが難しい。特に地獄という言葉に強い嫌悪感がある。例えば「地獄に行く人」というと、まるでエイリアンのような異次元の化け物みたいなイメージになる。だから、自分が地獄に行くはずが無い、という考えになるのだ、と。
たしかにアメリカのお寺を色々まわりましたが、「地獄行きの自分」についてのお話は聞いたことはありませんでした。そういったところをどう理解してもらうかが課題だと感じました。
もう一つは、ブラジルもアメリカも共通しているところだと思いますが、実は日系人よりも日本にルーツを持たない人の方が、浄土真宗の内容に興味を持つことが多いのです。
日系人には、先祖から続いてきた宗教を続けるとか、法事をするだけで満足、という方がよく見られますね。
ーー日系の方が多いブラジルでも難しいのですね。
久保:ブラジル移民は100年以上の歴史があります。最初はみんな浄土真宗を大事にしようという気持ちを持って、仏壇を担いでブラジルへ移住されました。ですが世代がすすむと、三世ぐらいから少しずつ日本人としてのアイデンティティが薄れていくんですね。
結婚にしても、当初は日本人同士にこだわっていたようですが、だんだんブラジルの方との結婚が増えてきました。そして相手がキリスト教だった場合、仏教から離れることもあります。
日本人がもともと持っていた「悪いことをしたらそれが返ってくる」という観念も、世代を経るごとに少なくなっていきました。現在の日系人は、外見こそ日本人ですが、内面はブラジル人だという印象を受けますね。
移民一世の日本人がほぼいなくなった20年ぐらい前から、つまり異なる価値観をもつ人々が主な伝道対象となってから、本当の意味での海外布教がはじまったと言えるでしょう。
そもそもお寺の役割は、聞法のためというより、社交的な場として活用されてきたのです。
移住した日本人たちは、ポルトガル語もままならず馬車馬のように働いて、非常に孤独でした。お寺ができてからは、日曜日にみんなで集まって日本語で話し、歌を歌ったりして、日頃の辛さを慰め合っていました。
ですから今でもお寺というものは、イベント空間としての役割が大きいんです。たとえば法要では、ご法話よりも、その後の食事やカラオケを楽しみにしている方が多いですね。
ーーそういった難しさをどうやって乗り越えようとされていますか?
久保:みなさんと仲良くなること。できる限りカラオケや盆踊りなどもお付き合いして信頼関係を築くこと。それから、みなさんの悩みなど話を聞かせていただくことも大事ですね。
教えを説く前に、まずは一人ひとりと信頼関係を結んでいく必要があります。開教使として浄土真宗のみ教えを広めるには、避けて通れない道です。