僧侶が僧侶のままで社会に出て行く|木下明水さんインタビュー<後編>
理由を並べ立てるのではなく、喜びを伝えていく
――そうした信仰の姿や意義などはなかなか伝えづらいところもあると思います。木下さんは阿弥陀さまの話をされるとき、どのようなことを心がけていますか?
木下:これは深川倫雄(ふかがわ・りんゆう)和上が昔おっしゃっていたことなんですが、「説明」をするのではなく、それをよろこんでいる姿を見せる。「仏さまがありがたい」と喜ぶことで伝わっていくものがあると思いますね。理由を並べ立てて「だから安心でしょ」とお話ししても、「私には必要ないかな」と思う人が多いでしょう。そうではなく「阿弥陀さまのお救いのなかでお念仏する、これが良いものなんですよ」と喜び自体をお伝えするんです。
お寺に来てくださる人の中にも「あなたの話すことはよく分からないことも多いし、なんか変なことも言う。でもありがたい」とおっしゃってくださる方がいる。説明ではないんですよ。「変なことを言うなと思われるかもしれないけれど、南無阿弥陀仏の仏さまがココに充ち満ちてくださる」というなかで伝わるものはあるのかな、と思います。
宗学の精緻な論理も好きなので、色々と解説をしようと思ったことはあるんです。でもやっぱり御讃嘆、阿弥陀さまのありがたさや徳を仰ぐことにつきるな、と思います。
――木下さんは、阿弥陀さまのどういったところが一番お好きですか。
木下:全部好きなんですよね。ただ、強いて言うなら、ちっちゃいころは悪さもしたし、僧侶になんかなれるわけがないと思っていたし、それこそ私は仏教の世界からは弾かれるような人間だろうと思っていました。
でも阿弥陀さまはそんな私を救うことを目的にしていた、というところですかね。
そもそも、阿弥陀さま以外にこんなに心を許せるかたなんていないですよ。親子でも夫婦でも分からない苦しみを、分かってくださる。私のことを全部見抜いてくださる。こんなに安心して前に座れるかたなんていないと思うんですね。大好きですね。阿弥陀さまも、私のことを好きでいてくださる。