ハーバード大学で学んだ僧侶の青春時代|大來尚順さんインタビュー<前編>
青春とは何か
――ここまで大來さんの幼少期からアメリカに行かれるまでの経緯をうかがってきましたが、僧侶になられたのはいつごろでしょうか?
大來:19歳のときです。僧侶という生き方はつらいかもしれないけど、やりがいがあるな、と感じたんです。明確に理由があるわけではなく、龍谷大学での出会いや、小さいときに祖母から「お寺を継いでね」と言われていたこと、両親の姿など、いろんなものが影響しているんだと思います。またお寺という、多くの人びとのさまざまな苦しさ、つらさ、悔しさもそのまま受け止めてもらえる場所を守りたいという思いもありました。
――いろんなご縁の中で僧侶という道を選ばれたんですね。
大來:あと私には、「ずっと青春の中で生き続けていたい」という思いがあって。
大学院を出て日本に戻ってきた私は、翻訳や通訳の仕事をさせてもらえるようになりました。その中で、気付けば年収やキャリア、ステータス……そんなものばかり気にするようになっていたんです。これまで勉強するときも僧侶になるときも、ずっと大事にしてきた「問い」や「姿勢」をおざなりにして、周りに考え方を合わせるようになったり、イライラして人に優しくできなくなったりしていました。
――留学中の大來さんとは考え方が一変したような印象を受けました。
大來:私自身、1年でよくあそこまで変われたなと思います。そんな社会人1年目の終わりに、父と食事をする機会があって。お酒も酌み交わしながら、自分はこの1年こんなことをして、ここまでキャリアを積んで、という話をしたんです。そしたら父から突然、「お前、青春を忘れてしまったな」と言われました。「確かに昔のお前は怖いもの知らずだったが、見ていて今の何倍も気持ちよかった」と。
冷や水を頭から被せられたような気がしました。確かに私がやりたかったことは、お金を貯めることでもキャリアを積むことでもなかった、と。そのとき父が、青春とは「答えのない問いに対していつまでも答えを追い求めていくこと、一生懸命になること」ということを教えてくれたんです。
結局1年半ほど通訳や翻訳の仕事をし、その間に貯めたお金を使ってもう一度アメリカに戻りました。その後、ハーバード大学神学部の研究員の試験に受かり、1年間の研究期間を終えてまた日本に戻ってきた、という流れです。
――何てことないように「ハーバード大学」という単語が出てきて驚いておりますが……大來さんの「ずっと青春であり続けたい、答えのない問いに答えを追い求めていきたい」という姿勢は、僧侶の生き方として重要なものの一つと言えるのかもしれません。
当たり前を疑うために英語を学ぶ│大來尚順さんインタビュー<後編>