「同じ立場だからこそ寄り添える」正信偈に救われた僧侶のうた│やなせななさんインタビュー<後編>
(写真提供:やなせななさん)
前回に引き続き、シンガーソングライターのやなせななさんにインタビューさせていただきます。
後編となる今回は、僧侶としてのやなせななさんの側面をうかがいました。
心の垣根を超える音楽 キーワードは「隙間」?│やなせななさんインタビュー<前編>
――歌手としてご活躍されているやなせななさんですが、僧侶となられた経緯を教えてください。
やなせななさん:シンガーソングライターを目指す中でも挫折を味わってきましたが、実は、学生の頃から挫折の連続だったんです。小学生の頃は引っ込み思案で、中学受験には失敗、その後高校では不登校になって留年と、思うような学生生活ができませんでした。「自分は何のために生きているんだろう」と思いつめるような思春期でしたね。
そんな日々を送るなかで、仏教にはこの苦悩を乗り越えられるすべがあるんじゃないかと思い、浄土真宗のみ教えを学べる龍谷大学に進学しました。
――苦しみのなかで、仏教に活路を見出そうとされたのですね。
やなせなな:両親は土日も働いていてほとんど家にいなかったので、私は父方の祖母に育てられたようなものでした。祖母は、戦死した祖父に代わってお寺を護ってきた人で、そんな祖母から、毎日お参りのことや浄土真宗のみ教えのことを聞いていたんです。幼い頃から私のベースには仏教があり、苦悩のなかで仏教を勉強してみようと思ったのも、そうした背景があったからかもしれません。
大学に進学したとき、兄と姉が家を出たので私がお寺を継ぐという話になりました。お寺を嫌だと思ったこともなかったので、大学4年生のときにお得度を受けさせていただきました。でも、当時は僧侶になることを軽く考えていて、気負いもなければ覚悟もないような状態でした。
――そんなやなせさんが仏教について真剣に考えられるようになったきっかけはありますか?
やなせなな:シンガーソングライターとしての活動を始めた頃、友だちのお姉さんが拒食症で亡くなられたんです。そのときになにか掻き立てられるものがあって、曲を作ったんですよね。お姉さんを亡くしたショックに加え、何もできなかったことを責めている友だちに向けて歌詞を書きたいと思ったんです。
その出来事があってから、以前より真剣に曲を作るようになりましたね。こういう人の悲しみに寄り添っていくような、心に染み込んでいくような歌詞をもっと書きたいという明確な思いも芽生えました。後からその曲を振り返ってみると、すごく浄土真宗のみ教えに影響を受けた歌詞だと気付いたんですよね。死んで終わりのいのちではないことを必死に訴えているような内容だったんです。
(写真提供:やなせななさん)