改めて考える、月忌参りのあり方とは?|京都府法行寺 熊本博史さんインタビュー<後編>
気遣いを強いられる現代社会だからこそ。
(画像提供:熊本さん)
――その中で、浄土真宗の救いの魅力はどういったものだとお感じですか?
熊本:やっぱり、救いがあるのがいちばんの魅力だと思います。哲学や心理学を勉強したことも有りますが、宗教でなければ担えない部分があると感じています。一方で、宗教的な価値観だけでこの世の中を生きられるわけでもありません。個人的には、宗教と社会道徳という2つの基準を持ちながら生きていけるのが、仏教に生きる人たちの強みだと思います。
そして、阿弥陀さまが絶対に私を離さないというみ教えこそ、浄土真宗の魅力であり、よろこびと言えるのではないでしょうか。
私たちは日常生活の中で随分と気を使っています。嫌なことを言えば人は離れます。ミスをすれば信頼がなくなります。毎日毎日、気を使って気を使って生きているんですよね。言い換えれば、失敗を許されない世の中を生きているわけです。
例えば、会社で失敗を許さない上司が居たとします。就職をした際、そんな上司に当たると大変ですが、もしかするとその上司も失敗を許されない状況の中で苦しんでいるのかもしれません。だからこそ、部下の失敗も許せないんだと。
そして、そうした不寛容から来る緊張感が家庭に持ち込まれれば、今度は子どもの失敗も許せなくなります。やがて、誰も受け止めてくれない、誰も許してくれない社会になっていくんですよね。そんな社会が、時として悲惨な事件を生んでいるのかもしれません。
許さないという悪循環を止めるためには、まずは自分自身が許される教え、つまり宗教的な救いに出遭う必要があると思います。そして、そのご縁をお繋ぎさせていただくのが我々僧侶やお寺の役割と言えるのではないでしょうか。
――最後に、今後のご展望をお願いします。
熊本:命ある限り、お念仏の心をお伝えさせていただくのが私の思い描く僧侶としての理想像です。そして、この世のご縁が尽きる際には「阿弥陀さまのお救いに出会うための人生でありました」と我が身を振り返りたいですね。
一方で「お寺離れ」という現実的な問題も抱えています。ですが、これに対しては寺院や僧侶の活動を見直し、模索するしか方法は無いと思っています。模索の結果、どのようになるかは予想できませんが、社会の中で必要とされる限り、これからも残り続けると信じています。
大切にしているものを見失わないよう、引き続き仏道を歩んでいきたいと思います。
――ありがとうございました。
編集後記
(画像提供:熊本さん)
今回は、京都府法行寺の熊本さんへインタビューしました。お寺で時代に合わせたさまざまな活動が展開される中、お寺の掲示板と月忌参りという、浄土真宗のお寺で伝統的に実践されてきたご活動を続けられる熊本さん。お寺にご縁のある方々と丁寧に向き合うことで気づく課題を教えていただきました。熊本さん、ありがとうございました。