責任ってなんだ? 被爆者三世の久保光雲さんが抱いた感情とは│久保光雲さんインタビュー<中編>
では、私たちは何をすればよいのか?平和学習を通して抱いた疑問
ーーでは、中学・高校時代、具体的にはどんな平和学習があったのでしょうか?
久保:広島では平和教育週間というものがあります。その期間では、被爆者の方に話を聞くという宿題が出るんですね。原爆を経験した世代も元気でしたから、実際におじいちゃん、おばあちゃんに話を聞いて、どんなに悲惨だったかをメモして、感想文にして……。
広島女学院も平和教育に熱心で、私は前述したボランティア活動などをしました。
キリスト教の宗門校だったため、戦時中は周囲から良く思われていなかったそうです。そのような状況で、少しでも社会に理解してもらおうと、戦時中の生徒たちは人一倍熱心に工場で働いたり、食糧難を迎えてからは校庭を畑にして作物を育てたりしたそうです。
そうした努力にもかかわらず、学校の位置が爆心地に近いこともあり、校内の全ての施設が焼け、350名余りの教員・生徒が亡くなりました。被爆した多くの方が原爆投下直後は生き延びても、結局、火傷や肺結核などで亡くなっていったそうです。
平和学習の中でずっと言われ続けたのは「私たちは卒業生の屍(しかばね)の上で生きている。だから何らかの形で返す責任がある。広島に生まれてきた責任は重い」という言葉でした。
そのため、作文では毎回「私たちには責任があります」と綴っていたのですが、だんだん虚しくなっていったんですね。
ーーそれはどうしてですか?
久保:責任、責任と言っても、結局私たちは何をすればいいのか、こんなちっぽけな私に何ができるんだっていう疑問があったんです。
そんな疑問に対する答えがわからないまま、感想文を書いている自分に気づいたんですよ。原爆という惨事において「責任を取る」ということが何なのか、わからなかった。
その悩みは信仰にも影響するようになりました。広島女学院に入学した当初は、聖書に感動し、神の言われる愛を実践することに喜びを感じていましたが、4年目ぐらいからは喜べなくなってしまいました。
「キリストは私たちの罪を背負って犠牲になってくださった」と習ったのですが、それがどうしてもわからない。はるか昔に亡くなった人が、どうして私の代わりになれるのか?また「そもそも神はいるのか?」という疑問が、私に重くのしかかってきたんです。自分のやっていることが偽善に思えて、私は天国へ行けないのではないかと思うようになりました。