責任ってなんだ? 被爆者三世の久保光雲さんが抱いた感情とは│久保光雲さんインタビュー<中編>

私は良い子になれない。「偽善」を救ったものとは

 

久保さんの書斎の様子。上の段の左から、ゲバラ、キング牧師、ガンジー、下の段がウィリアム・ジェイムズ、伊藤康善先生、親鸞聖人と、久保さんが尊敬している方々の写真が並ぶ

 
ーー「偽善」ですか。どういった経緯で偽善だと思われたのですか?
 
久保:私の心は偽善なんだって気づく出来事があったんです。
そもそもキリスト教では、神の国に生まれるのが一番大事なこと。でもそのためには、神を愛し、神の意のままに生きていくのが大前提なんです。
 
私は「死んだらどこに行くんだろう」「私が生まれてきた意味は何なんだろう」というシンプルな問いを小さい頃から抱えていました。でも神の愛に包まれれば、常に神と共にあるわけですから、私の問いも解決されると思って、神を信じようとしました。
そうすれば死んだ後の問題も神の国に行くことで解決できるはず……だったんです。でも実際は、神の国に行くためには「素直な良い子」じゃないとだめだ、と感じたのです。
 
その頃の私は、不登校の子がいたら一生懸命助けたり、そういうことをするのが好きだったんですね。でもある日、その不登校の子から「あなたがやってることは偽善じゃないか、学校の先生から『良い子』だと思われたくてやっているんじゃないか」と言われました。
その時、私はものすごく腹が立ったんですね。「こんなに良くしてあげてるのに」という気持ちがふつふつ沸き起こるといいますか。もう助けない。もう不登校の子の相手なんかしない。とまで思っていました。
 
確かに学校の先生からすれば、私は良い子だったかもしれません。今日も〇〇ちゃんの家に寄ってくれたんだね、遅刻したけどいいよという感じで、誰もしてないことを私がやっているという気持ち良さを感じていました。
でもその出来事があって、私は良い子にはなれない、と強く感じたんですね。
私は良い子ではない。隣人を愛すこともできない。私はキリスト教では救われない。神を疑っているということで、何か他の救いを探さなければと感じるようになったんです。
 
ーーその出来事がきっかけで、とても神の国へは行けないと思うようになったのですね。
 
久保:しかし、浄土真宗に出会えた時に、そんな偽善に対する問いも解けていったんです。
例えば原爆資料館で展示されている悲惨な状況を見て、なんでこんな酷いことをするんだろう、という憎しみの気持ちはありました。ですが浄土真宗に出会ってからは、そうした憎しみだけではなく、私の中にもそういう心があるのだと思うようになりました。
 
ーー「私の中にもそういう心がある」とは、どういうことですか?
 
久保:「私も原爆を落としかねない、恐ろしい心を持っている」ということです。家族や自分を守るためだったら原爆を落としてしまうような恐ろしい心を持っている。それがたまたま日本は落とされた側であったけれども、状況次第ではどうなっていたかわからない。
被害者であるのか加害者であるのかは、紙一重。真珠湾(パールハーバー)で亡くなった方から見たら、日本人というだけで加害者に映ることもあるでしょう。
もし私が広島に生まれなかったら、そして原爆のことを考えなかったら、浄土真宗の教えに感動することもなかったかもしれない。それほど大きなご縁だったなと。
 
浄土真宗の教えに、そして何より阿弥陀さまに出会ってからは、還相回向させていただける身であることを知りました。
 
この世で私が生き抜くことは大事である。しかし、私がこの人生でやれる良いことには限界がある。本当の善と呼べるものは、私が必ず仏となって苦しんでいる方々を救うことである、と思うようになったのです。
 
それに気づいてからは、浄土真宗のみ教えを広めることが自分の果たすべき責任だ、と思うようになりました。そして、その気持ちをさらに後押ししてくれる出会いがアメリカでありました。
 

戦後70年、世代をこえた出会い

   

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掲載日: 2021.07.19

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