ヘリコプターで大空を舞う僧侶の話|西守騎世将さんインタビュー<前編>
ヘリコプターのパイロットだったからできた災害支援
ヘリコプターの座席に積み込まれた支援物資(画像提供:西守さん)
――ヘリコプターのパイロットになって良かったと思えるご経験はありますか?
西守:東日本大震災が発生したときの災害支援活動でしょうか。あのときは、自衛隊や警察がヘリコプターで懸命に人命救助をしていましたよね。しかし、あまりにも被害範囲が広く、人手は全く足りていない状況でした。ならば、民間のヘリコプターを集めてなにか支援できないかと考えたんです。
しかし、空の世界はとにかく規制が厳しく、民間機は予め申請した場所でないと離着陸できない決まりになっています。これでは思う通りに支援ができませんよね。
ですが、違反はできないので東京にある国土交通省の航空局に出向いて規制の緩和を交渉しました。
粘り強く交渉して、4日目にようやく申請は事後報告で構わないという、特例が認められることになりました。早速、仲間のヘリコプターを宮城県のレースサーキット場に集結させ、そこから宮城県や福島県、岩手県に合計40トンの支援物資を運びました。
――支援活動の中で、印象的に残ったことはありますか?
西守:支援物資を届けに避難所に行くと、思っていたよりも明るい空気感が漂っていたのが印象に残っていますね。聞いてみると、津波被害で何もかも失ってしまったのでこれから明るく生きていくしかないんだと。なんというか、逆に私が元気をもらったような気がしましたね。
「明日は我が身」西守さんが経験された、空の厳しさ
ヘリコプターを操縦する西守さん(画像提供:西守さん)
――一方で、空を飛ぶことの怖さを経験したエピソードはありますか?
西守:あります。実は、不時着してしまったことがあるんです。
――えっ!?その時はどうなったんでしょうか?
西守:山の上空を飛んでいたら突如エンジンの調子が悪くなって、そのまま山中に不時着してしまったんです。機体は大破したものの、幸いケガはまったくありませんでした。
ヘリコプターはエンジンが止まると降下を始めますが、羽が空回りをし続けるので、地面に到達するまでに若干の猶予があります。その時間を使って、安全に着陸できる場所を探してコントロールするんですよね。訓練では、わざとエンジンの出力を下げて擬似的にエンジンが止まった状態を作り、そこから安全に着陸するという項目もあります。
その時は不思議と冷静で、訓練通りの手順を踏むことができたものの、高度が低かったので安全に降りられる平地を見つけられず、山中の河川敷に落ちてしまいました。
脱出すると、周囲には大きな岩がいくつもありました。ケガ一つなかったのは奇跡です。もし岩に衝突していたら多分死んでいたでしょうね。
――まさに、命からがらといったところでしょうか。事故を経験されて、心境の変化はありましたか?
西守:普通はやめようと思うじゃないですか。でも、ケガをしなかったからか、ヘリコプターの安全性に改めて感心してしまったんですよね。その後は、事故の保険金で機材を買い直し、再び飛びました。
とはいえ、年々空を飛ぶことが怖く感じるようになってきています。やっぱり、大好きなヘリコプターで命を落としたくないんですよね。
細心の注意を払って飛んでいるつもりですが、それでも、いってきますと玄関を出るとき「今日は無事に帰れるかな」と思ってしまいます。航空業界は狭いので、知人や教え子を事故で亡くしたこともあります。
まさに、明日は我が身。老少不定は世の道理ですが、空を飛んでいる時はそれをより強く感じますね。
――ありがとうございました。
後編では、西守さんが僧侶としての道を歩むきっかけや、そのエピソードをお伺いしました。
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波乱万丈の人生は、阿弥陀さまの導きだった |西守騎世将さんインタビュー<後編>