「あなたがいてくれて本当によかった」……ホッとする言葉を門前に掲げる、お寺の掲示板の活動|京都府法行寺 熊本博史さんインタビュー<前編>
熊本博史さん(画像提供:熊本さん)
浄土真宗本願寺派僧侶の様々な生き方を訪ねるインタビューシリーズ「僧侶の生き方」。
今回、インタビューをさせていただいたのは京都府伏見区にあるお寺、法行寺で日々ご活動されている熊本博史(くまもと・ひろふみ)さんです。熊本さんは、主にお寺の掲示板と月忌参りのご活動に注力されているといいます。前編となる今回は、お寺の掲示板の活動についてお伺いしました。
はじめに
――熊本さまの自己紹介をお願いします。
熊本博史さん(以下:熊本):熊本博史と申します。京都市伏見区の法行寺で、日々活動しています。
私は奈良県吉野郡にある浄宗寺の次男として生まれました。高校生の時にお得度を受けて僧侶にならせていただき、高校卒業後は保育士と幼稚園の教員を志し、佛教大学へ進学しました。
でも、大学時代に資格は取れなかったので、その後は専門学校に通い、そこで保育士と幼稚園教諭の資格を取得。その後、京都市伏見区の「誕生院保育園」に保育士として4年ほど勤務しました。その時の同僚が今の妻です。
妻の実家である法行寺の次代住職候補が決まっていなかったので、2011年に思い切って退職をし、今に至ります。
――ご所属の法行寺さまは、どんなお寺でしょうか?
法行寺 外観(画像提供:熊本さん)
熊本:法行寺は鳥羽・伏見の戦いの舞台にもなった、京都市伏見区にあるお寺です。住職である義父は富山別院で務めており、前住職も税務署に勤務していました。代々兼業という形で、地域のお寺として運営を続けてきました。
詳細な由緒は不明ですが、義父から聞いた話では、大谷本廟の御内仏にいらっしゃる御本尊は、かつて法行寺にご安置されていたものだそうです。1571年に比叡山延暦寺が焼き討ちに遭った際、東塔からこぼれ落ちた御本尊が何らかのご縁で法行寺にたどり着き、当時の住職が本願寺に寄進した、という由緒があるそうです。なので、その頃から法行寺は存在していたということになりますね。