僧侶としてどうあるべきか?|木村共宏さんインタビュー③

 

現代において僧侶が果たすべき役割

 
ーー現代において、僧侶はどのような役割を果たすべきでしょうか。
 
木村:一つには、今の人にも役立つ古(いにしえ)の教えを、今の人が受け止めやすいように咀嚼して通訳する役割があると思います。僕はある時期から、古の教え、平たく言えば、昔からおじいちゃん、おばあちゃんに言われてきたようなことがすごく大事だなと思うようになっていました。でも、そういったものは使い古されていて、当たり前すぎて、現代人には軽視されがちです。
例えば、「靴を脱いだら揃えましょう」というのは、誰しもお母さんや先生に教わったと思います。でも、めんどくさがってちゃんとやらない人も多いかと思います。
 
「靴を揃えることは心を整えることである」というようなことを読んだことがあります。確かに散らかった靴を見るよりは、きちんと揃っている靴を見る方が気持ち良いですね。
臨床心理学で、「if-then プランニング」という理論があるそうです。”if” 靴を脱いだら、”then” 揃えましょう、という風に、良い習慣づけをするための方法論です。if-then プランニングによって良い習慣づけをすると、それが健康に寄与するということが科学的に明らかになっているそうです。そう聞くと、「じゃ、健康のために靴を揃える習慣をつけよう」と考える人も出てくると思います。
 
現代人は科学に弱いですね。科学的に証明されたことに対してはすぐに受け入れます。ですが、科学的な証明を待たずとも、昔の人はいろいろなことを教えてくれているんですね。
僕は古の教えを軽視するべきではないと思っています。「時の試練」を乗り越えたもの、つまり、長い年月の間に淘汰されていたかもしれないのに、それを乗り越えて今に伝わってきたものは、各時代の人が重要だと思ったからこそ受け継がれてきたわけであって、それだけ大切なものだと思うからです。ですが古の教えを現代人に納得してもらうには、一度科学的根拠とか、短期的な現世利益的な効能を説明してあげる必要があります。
 
「臨床心理学で、if-then プランニングは健康に寄与すると言われています。だから健康のためにも簡単に始められる『靴を脱いだら揃える』という習慣から始めてみてはどうでしょうか」と説明すると、「なるほどいいことを聞いた」と受け取る現代人は多いのです。そこに続けて、「でも『靴を揃える』って、昔から普通に言われてきたことですよ」という解説が今の時代には必要です。
 
これを繰り返していけば、そのうち「古の教えって深いんだな」、「実は大事なんだな」と思ってもらえるのではないでしょうか。科学的根拠がなくても昔から言われているならとりあえず大事にしておこう、と考えることができれば、先人の知恵である仏法にも興味を持ってもらい、回帰するきっかけに繋がるのではないかと思います。
現代には、この咀嚼して解説してくれる人がなかなか居ないので、古の知恵が伝わらず、徐々に廃れていくのではないかと懸念しています。その解説を僧侶が担うべきではないかと思っています。
 
ーー古の知恵と現代科学を融合させる役割を僧侶が担うべきということですね。
 
木村:そうですね。古の知恵を咀嚼して伝える、その時に科学的な部分も考慮するとより伝わりやすいと思います。いきなり仏法を語り始めるやり方では、一般の方にはとっつきにくいでしょう。相手の立場に立って、入り込みやすいようにと考えるなら、最初は相手の一番わかりやすい話から始めるべきだと思います。平易な言葉を使い、宗教色も感じられないくらいで良いと思います。人々が深く興味を持ってくれた時に「実はここまでお話ししたことはもともと仏法に書いてありまして」と説いていく。すなわち仏法は最後に種明かし的に出てくるという方が伝わりやすいと思います。
 
未来の住職塾NEXT オンライン配信の様子(2020年撮影)
 
ーー宗教全体で見ると、どのような役割があるでしょうか?
 
木村:僕はよく宗教・哲学・科学と3つを並べて比較します。現代社会では科学を否定する人は極めて少ないですね。即ちほぼ100%受け入れられていると言えるでしょう。哲学も人生の知恵として比較的受け入れられている。しかし、宗教の受容度は下がる一方です。科学が発達した以上、宗教がかつてほど信じられなくなってしまっているのは、やむを得ないとは思います。
 
宗教の存在感は低下する一方ですが、ではゼロになるかというとそうは思いません。というのは、哲学や科学では「死」に対する悩みや苦しみといった、人間の心に必ずつきまとう根源的な問題を解決することができないからです。平和で健康な時は自分の死について考えることはほとんどない時代になりました。そのようないわゆる平時においては科学や哲学の方が役に立つのでしょう。ですが自分の死を意識する段階になれば状況は変わります。僕自身がまさにそうであったように、科学を突き詰めても、哲学的に思考しても、自分の肉体が滅びた先の答えを見出すことは困難です。宗教はそんな科学と哲学がカバーできない部分に役割があるのではないかと思います。
 
ーーとなると、寺院もそうした哲学や科学ではカバーできない役割を担うことになるのでしょうか?
 
木村:宗教の役割、お寺の役割、僧侶の役割、というものは重なる部分もありますが、分けて考える必要があると思います。お寺は宗教的な場所としての役割を担うことは間違いないでしょう。それはお寺の原点だと思います。それはそれとして、歴史的に見ても、お寺はそれ以外の役割も担ってきました。また、現在の外部環境に応じた、新たなお寺の役割というものもあり得ると思います。
お寺は全国に7万か寺もあり、置かれている状況もさまざまなので、それぞれ担うべき役割は一律に同じというわけではないでしょう。
 

改めて問われる寺院の役割

   

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掲載日: 2020.10.23

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