諦め[あきらめ]の意味とは?【くらしの仏教語豆事典】
諦め[あきらめ]…ほんとうは力強い語
どうにもならないことをくよくよと考えないで
断念することを「あきらめる」といいます。
お釈迦(しゃか)さまは、
悟りを開かれた後、
ベナレスのミガダーヤで5人の友人たちに、
初めてその法を説かれました。
初転法輪(しょてんぼうりん)と呼ばれているのが
それで、その説法の内容が
「四諦(したい)」の教えでした。
「諦」とは「まこと」とか「真理」という意味で
、動詞として読むときには「あきらめる」、
すなわち、明らかに真実をみる
という意味なのです。
お釈迦さまはその悟りの内容を、
苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)
の4つの真理に分けて教え、
それを見ることによって、
真理を知ることができると説かれました。
だから、「諦」という語は、
現在のように消極的な用い方ではなく、
真理を悟るという力強い語なのです。
しかし、そのとき、自分一人の力ではどうにもならないことを悟るのが、本来の意味なのかも知れませんね。
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掲載日: 2012.12.27