住職はチェロの演奏家|秋津智承さんインタビュー<前編>
秋津智承さん(写真提供:秋津さん)
No,Music No,Life.
という言葉があるように、人間にとってなくてはならない存在である「音楽」。
そんな音楽を通して人びとの心を動かしている僧侶がいます。
今回インタビューさせていただいた秋津智承(あきつ・ちしょう)さんは広島県のお寺の住職であり、そしてチェロを弾くチェリストとしても活躍されています。
前編では、演奏家としての秋津さんの人生を振り返っていただきました。
父の影響で音楽の道へ
――秋津さんは、幼少期をどのように過ごされていましたか?
秋津智承さん(以下 秋津):私は広島市の願船坊(がんせんぼう)というお寺の長男として生まれました。中学生の途中から東京に転校して、チェリストへの道を歩み始めました。
――なぜ音楽の道に進まれたのでしょうか。
秋津:父の影響が大きいですね。当時副住職だった父からは僧侶になるための教育はあまりされてきませんでした。むしろ父は昔から音楽に傾倒していたんです。ただ父はお寺の長男であり戦中戦後の混乱の最中だったことで音楽を断念せざるを得なかったようで、その夢を私に託した部分もあったんだと思います。
――なぜチェロを選ばれたのでしょうか?
秋津:私の師匠である斎藤秀雄(さいとう・ひでお)先生という方が広島に教えに来られたからです。
チェロを始めて間もない頃の秋津さん(写真手前)と斎藤秀雄氏(写真奥)(写真提供:秋津さん)
秋津:私が小学2年生のとき、広島に斎藤先生が来られると聞き、父が私を連れていったんです。その際、斎藤先生が私の手を見て、「この手はチェロを弾くにはとても良い手だから、チェロの道に進みなさい」と勧めてくださったんですよ。
実は私が4歳の頃から、父に教えられてピアノのレッスンや楽譜を読む練習も始めており、桐朋学園の「子どものための音楽教室」広島分室に通うこととなりました。
中学生の頃の秋津さん(写真提供:秋津さん)
その後桐朋学園大学に入り、大学卒業後アメリカ・ボストンにあるニューイングランド音楽院に2年間留学をしました。